90年代の予備校について

奈良女子大学の藤村達也先生がまとめられた「全共闘世代予備校講師によるオルタナティブな教育実践―河合塾講師・牧野剛を中心に」を読了。とても懐かしく、いろいろなことに気付かされた論考でした。

https://researchmap.jp/fujimuratatsuya/published_papers/51602568?fbclid=IwY2xjawQYU-ZleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEebMRqo0nMkXorxoDTWKTATfI0Hqr1x1D-odeIKpDgZyZJ544qV3YxibZYQT4_aem_Bc4xnw4CAyOTzs-BJ8S5-g

僕は、高校を卒業してから就職したのですが、それはいわゆる新聞奨学生のような仕事でした。朝3時起床で、コンビニエンスストアや駅の売店に新聞や雑誌を配送する仕事で、日中は英語指導で有名な予備校に通っていました。大学には行かなかったけれど、予備校で日中は勉強をしていました。そして、英語がメインのその予備校で、なぜか日本史と数学を中心に勉強していました。そのときまでは、理系に進むというのも選択肢の一つとして残していました。

そのときに出会ったのがF先生でした。この論文に登場するようなオルタナティブな教育実践をされていた方でした。「自分の人生を生きなさい」と何度も鼓舞してくださいました。この論文に登場する牧野先生のように、北鎌倉から鎌倉まで浪人生が集まって山巡りもしました。コアメンバーは今思い出すと8名でした。

人生の中でもっとも濃い時代でした。

僕はその後いろんなことがあり、地元の鹿児島大学に入学します。本命落ちの「下野」で意気消沈していました。

鹿児島大学に入学してすぐ、1年生のゼミ担当になった指導教官H先生(日本政治史)の研究室を訪れる機会がありました。鹿児島大学を退学する相談に行ったのです。そのとき、何気なく見たH先生の本棚にそのF先生の単著があり、非常に驚きました。F先生は、その分野でとても有名な先生でした。H先生は、F先生と僕とのつながりを驚き、僕に「もう少し鹿児島大学でやってみないか」と、退学を諫めてくださいました。

研究者としての僕のキャリアは、F先生によって培われ、H先生に育てていただきました。大学では先生方のような授業をしたいという思いがあり、学生への教育のあり方はああいうふうにあるべきだと今でも思っています。

F先生がどのような思想遍歴を経たのか、そのはしばしはF先生のresearchmapで後ほど知ることになりました。この論文に登場する先生方と同じように学生運動を経たことをその後出されたF先生の書籍で読み知りました。

1990年代の予備校では、大学を目指している学生に、大学でないからこそカリキュラムを外れて自由に教員が思う「大切なこと」、例えば日常生活から生まれる身体感覚などを無視してはいけないと、改めて教えられていました。「何のために勉強するのか」ということを深く学んだのはあの時期でした。

個人的な経験にすぎませんが、そんな90年代の予備校の雰囲気を思い出す論考でした。

なお、その日本史のゼミからは2人が大学の教員になります。あの時代の予備校の自由な雰囲気に影響を受け、現在研究者として(僕を除き)活躍している方は実は大変多いのではと思います。

学生運動が終わった(終わらされた)あのころから大学の自治はどんどんなくなり、今はとても息苦しい世界になってしまいました。全てとは言いませんが、あの時代の一部の予備校には、「オルタナティブな教育実践」が確かに残っていたと、当事者の一人として強く思います。