飼い猫に書籍取られて読書替え

大貫隆(2022)『ヨハネ福音書解釈の根本問題: ブルトマン学派とガダマーを読む』ヨベル、日曜の早朝03:00過ぎにやっと読了。

ヨハネ福音書の顕学によるヨハネ福音書の講義録なのだが、ガダマーの解釈学及びヨハネ福音書へのその応用について記されており、コロナ禍での配信講義がベースになっており理解しやすい。そして、キリストの「全時性」について僕自身の整理が必要。

本文をうなずきながら読む一方で、前書きの大貫先生の研究者としてのキャリア形成の記述にこれまた惹かれる。一橋の学部在籍時に古典ギリシャ語で原文を読み論文を書くとか、ヤマハに就職された後4年間の社会人経験を経て東大大学院に入学する話とか。財政難の今、図書館にはなかなか入りにくい書籍だと思うのだけれど、こういう自分の専門と異なる分野の図書と多く出会う機会を学生には持っていてほしいし、図書館にいれておいてほしいなぁ、と思う。

・・・少し眠くなって、コーヒーを淹れるために席を立った瞬間に飼い猫に書籍自体をロックアウトされる。この子も本が大好きなのだろう(ということにしとく)。「ちゅーる増量春闘」がスタート。

 飼い猫に書籍取られて読書替え

主の平和

追記
「またわけわからんことを吉井が書いている」と感じた方もいらっしゃるかと思いますので補筆。
キリスト教の新約聖書の中にイエスの生誕から死までを描いた福音書は4冊(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)あります。この4冊の福音書の成立年代については、学者間の論争はあるものの、一つだけはっきりしていることとして「ヨハネ福音書だけは出自がちがう」ということでは神学者の意見の一致を見ています。またヨハネ福音書以外の3冊は「共観福音書」と呼ばれ共通の記述が多いのですが、ヨハネ福音書だけは記述が異なり、教団内で布教活動のために再編成されたテキストであるという指摘がされています。「キリスト教のユダヤ人差別を助長した福音書」と辛辣な言葉で語られることもあります。だからこそ、ヨハネ福音書を「どう読み解くか」という問題は、共観福音書を読み解くときとは異なり「なぜこのような形で、伝承させてきたのか」という集団の存在について考える必要が出てくるのです。

追記2
特にガダマーについては、僕自身が不勉強なところもありますが、僕の学生時代に日本ではメジャーな議論ではなく(僕はドイツ語は全く読めないので)、モン族の村に入る前に呼んでいたらまた博士論文の方向性が変わっていたのではないか、と今なら思います。僕はガダマーと論争を繰り広げたハーバマスの理論に依拠して博論を書いたので。また、大貫先生はガダマーと柳田国男の視点との類似性を指摘していて、それもちょっと惹かれています。

まぁ、そんなこんなで、ガダマーを用いたテキスト解釈、それもヨハネ福音書について語る、ということが僕にはヒットでした。