私の周囲のイチオシ詩人(まちおん連載18回目)
私の周囲のイチオシ詩人・・・こ、これは難しい。
というのも広いカテゴリーでの「詩人」の知り合いは結構周囲にいるのだが「まちおん」という音楽ジャンルに繋がるような詩人はなかなかいない。そして(あまり大きな声では言えないが)自身も詩人のはしくれなので、なかなかどうこの問いに答えて良いかわからない。
そうなのだ「詩」は何も現代詩の自由詩ばかりでなく、ジャンルとしては短歌、俳句などの定型詩(短歌・俳句)もあり、特に宮崎は、若山牧水以来の短歌の伝統と、俵万智の宮崎への移住に伊藤一彦という短歌会の有名人が住んでいて、「短歌県」としては非常に盛り上がっている。若山牧水賞、短歌甲子園など、宮崎をベースに開催される著名な短歌のイベントも多い。「詩人の県」である事実はあまり知られていない。これは全国的には希有なのである。
全国的な流れとして、少子高齢社会の問題が短歌や俳句の世界にも現れている。かつて短歌の主な担い手であった第一次ベビーブーム世代が歌作りをやめ、それまで存在していた短歌結社のいくつかはすでに活動を停止した。国語の授業にも登場した伊藤左千夫が結成したアララギ派のグループも、1997年に解散してしまっている(なお、アララギはその後複数の結社に分裂して活動している)。
戦後、桑原武夫による「第二芸術論」という文芸上の論争があった。短歌や俳句は、真の芸術と呼ぶに値しないという否定的な意味合いで「第二芸術」として表現し、批判された時期があった。ここは慎重にならなければならない議論なのだけれども、今日の短歌の詠み手の減少は単に人口減少だけが問題ではなく、こうした批判も少なからずあたっていたかもしれないと思う。五七五七七の三十一文字で語る事のできる内容は、わずかな言葉の背景にある社会観の共有が不可欠で、何よりも現代社会では、「共有できる」社会を持つことが難しい。特に短歌を詠む(そして読む)機会が格段に少なくなっている今、ロックやフォーク(やパンクや吹奏楽)には、この「まちおん」のような自由参加のステージが用意されているが、新聞の歌壇コーナーやテレビの歌壇などはまだまだ知らない人には「遠い」存在なのだと思う。
短歌が古い文学の形態を持つが故に廃れてしまった、という言説に簡単に乗りたくないが、自由詩の作り方と大きく異なり、短歌の世界では歴史的仮名遣いで今も書かれることが多いこと、そして、短歌や俳句がその短さ故に音楽の題材となることはこの時代に少ない状況では、「短歌・俳句を趣味」とする層は限られてしまうのだろう。
そんなあれこれの理由も踏まえ「周囲の」という限定の上で、僕の周囲のイチオシ詩人であり歌人である大口玲子さんを紹介したい。というよりも、本来ならば俵万智、伊藤一彦とならぶ大家として、紹介すべき存在である。大口さんは宮崎で作歌活動をしている歌人で、賞歴やあれこれなどは、すでにWikipediaにも項目として立ち上がっている方なので敢えてここでは説明はしない。2018年からは都城に居住されたこともあり、都城について多くの短歌も詠まれている。
土地の人のごとくに「ミヤコンジョ」と言はずわれは盆地に暮らしはじめぬ
都城駅徒歩参分 伝説の<おでんジャングル>の鍋の深さよ
関之尾滝にかすかに虹立ちてともに見たりき言葉に出さず
大口玲子(2020)『自由』書肆侃侃房
都城が全国的に話題になると言えば、「ふるさと納税日本一」だったり、あれやこれやの「あまり喜んで口にしたくない」話題のことが多く、こうした身近な地名や場所を文学的に昇華して描けるメジャーどころは、たった一人、大口さんしかいない。「都城」のロゴを都城に関係の無い書家が描いてライセンス料を払うなんてのも、MJホールの名誉館長も都内の有名作曲家で、定期的に「○○先生にちなんだコンサート」をやっているけれど、その価値が残念ながら僕にはわからない。東京で評価されている「ゲージュツ」を地方がお金を出して買わせていただくような構造こそが、地方の文学や音楽をダメにしているとも思う。
「がんばろう宮崎」とあちこちにあればここも苦しむ街と思ひき
鎮圧の必要も無きデモをして銃撃を受けることなく歩く
大口玲子(2022)『短歌 2021年4月号』角川出版
知人についてプライベートな話しを公の場で書くことは避けたいが、大口さんの短歌を読む度に「ほーっ」とため息をつくことが多い。それは同じ地域に住み、同じ風景を見ていながら、詩人が読むと「こうも切り取ることができるのか」という感嘆の言葉である。少年老い易く学成り難し(少年易老学難成)で、もう壮年となってしまった人生終盤の自分にはどう逆立ちしてもこんな歌は詠めないなぁと思う。
1首目は新燃岳の噴火、口蹄疫、そしてコロナと多くの禍(わざわい)が続き、「がんばろう」という声が多く語られる中、それは「がんばらなくてはならない人」にどれだけの心理的負担になっているかに心を寄せる。また、2首目はミャンマーのデモと宮崎での違憲訴訟での行進を比して読んでいて、我々は別に銃で撃たれるような世界の住民ではないのに、多くの「言えない」ことに口をつぐむ。ネット上の心ない書き込みは増えるが、実際に政治的主張を顔を出して行うのは少数派だ。
今年の1月号の雑誌で、大口さんは次の歌を詠んでいる。
ロザリオの珠のひとつぶひとつぶの冷えよりつめたかりしか人は
大口玲子(2022)「越冬先」『短歌 2022年1月号』角川出版
「哀しい」ことを「哀しい」と伝えるわけではないのに、その哀しさがぐっと伝わる一首だと思う。
このコロナ禍の中で皆が苦しい越冬を迎えていて、きっとこの1年のことを考えて祈りのロザリオ(カトリックで用いられる祈りのための道具)を捧げる。でもじっと握った陶器製かガラス製のロザリオの珠のひとつぶよりも人は冷たい。いつからこんな日本になってしまったのだろう。宮崎、そして都城ももかつての田舎ののんびりした良さはなくなって、コロナによって単なる日本の地方都市の一つになったことを改めて示されたように思う。
どれだけ言葉を尽くしてみてもわかり合えない複雑な背景を個々人が抱える時代ではある。だが同時に三一文字で多くのことが伝わりわかり合えた時代はもう来ないのかと思うとそれも少し寂しい。
短歌は文章自体が短いのでこの場であまり紹介することは避けるので、続きはぜひ大口さんの歌集を手に取って欲しいのだが、「こんなにも」宮崎には見るべき(目を背けてはいけない点も)があることがわかる。
そして、短歌が流行(はやり)じゃないのは分かっているが、大口さんの短歌にメロディを誰か付けて貰えないかと思う。こんな素晴らしい歌人と同じ時期に同じ地域で、僕らは生活できているのだから。