Tsunamiとはま寿司
チェンマイ大学に客員研究員として籍を置いていたとき、住んでいたアパートの前に「Tsunami 」という(ネーミングセンスは非常にアレだが)寿司屋があった。200バーツ(当時のレートで約700円)出せばビールと「なんとなくニッポン」のおつまみが食べれるので、結構通っていた。
最近、我が家の徒歩圏内のはま寿司がリニューアルオープンした。コロナの影響を受け、オーダーごとに握って高速のベルトコンベアーで客の前まで運ぶスタイルに変わっていた。かつての回転寿司屋は、もはや「回転」などしないのであった。もとより100円ラインのお寿司で、もちろん味はそれなりであり、むしろよくやっているなと感心しながらおつまみを頼み、少しだけお酒を飲むだけのお店だったのだが。
時折、「近い」という理由はあるが、なぜここに通うのか不思議になることがある。そして、ここは驚くほどTsunami の味がすることに気づく。それが恋しくて通ってしまうのだろう。もう日本の研究機関で、チェンマイにいた頃のようにモン族のことだけを考える日は来ないのだなぁ、とか思いながら。
そうなのだ、はま寿司のチープさは僕がチェンマイに赴任していた頃、チェンマイ大学に同じ頃にいたN先生ともよく通ったTsunamiと味が似ている。「アボカド海老天」なんて、コピーかと思うほど。そして結局は同じ味ではないことを確認しながら夜がふける。
ベルトコンベアーで目の前を流れる皿は、他の客の注文した皿で、カウンターを流れる人々の孤独の数だけ寿司皿が流れているようにも見えるなぁ、とか考えながら夜がふけていく。
そして、タイの場末の日本食レストランのように、多くの生きるジタバタから生まれる孤独を寿司皿が流していくようでもある・・・とか書くとあまりにも感傷的か。
寿司皿の流れるさまにひとの生く性(さが)など重ねて酒を嗜む 千周
主の平和。