演奏と祈り

12月に入り、とうとう帰国も3ヶ月後に迫った中、チェンマイにある二つの児童施設でトロンボーンアンサンブルの演奏を行った。

施設の一つはハンドンにあるHIV/AIDSに感染した母子のための施設バーンロムサイ。この施設はチェンマイ市内から南に20キロ離れたハンドン郡で、日本人の支援団体によって運営されている。もう一箇所は20年近く交流があり、これまでにもこのブログで何度も取り上げた山地民子弟のための施設バーンルアムジャイプロジェクトでの演奏。いずれのNGOでも子ども達、スタッフのみなさんが温かく迎えて下さった。

子ども達の多くは、これまでトロンボーンを含めた生の演奏に触れたことがない。そんな子ども達は最初はとても不思議そうに、そして最後はとても嬉しそうに聞いてくれ、いずれの施設でも盛況のうちに演奏を終了することができた。シルバーのバストロンボーンをにこにことしながら見つめる子ども達、カチャカチャとうごくロータリーのメカニズムや、スライドによって変わる音程を不思議そうに眺める姿に小さい頃の僕自身の姿を重ねてしまう。この子達の中からトロンボーンと言わず、音楽と言わず、何か自分達の好きな分野で活躍してくれる子ども達が登場してくれたら嬉しい。

さて、実はこの演奏会の実施には相当に困難があった。10月前後から企画は動き始めていたのだが、プミポン国王の崩御に伴う服喪期間や、所属する吹奏楽団であるバンコクブラスバンドの活動自粛などの影響は大きく、十分に練習する機会もないまま本番を迎えた。その意味では不十分な出来であったことは否めず、悔しい思いがないわけではない。だがいずれにせよこれ以上の水準での演奏は届けられなかったと思う。

音楽を演奏することは、演奏者から見たら極めて自己満足的な行為であると思う。実際に辛辣な意見も僕の所には届き、不幸な境遇の子ども達に会い、素人の演奏する未熟な音楽を提供することは、やもすると「ありがた迷惑な自己満足的な行為」でしかないのだろうとも思う。ボーヴォワールが『人間について』で出した問いかけは今でも普通に私たちの日常で語られる。子ども達の反応がおおむね良好であったことは幸いで、子ども達との交流を通して音楽を演奏することの意味を考えられたのも、これまでの自分の人生の中ではなかなかない経験だった。

様々な困難があってもなお「演奏したくてしょうがなかった」というのは、「僕らは君のとなりにいるよ」ということを示すことが重要だと信じているからだと思う。自己肯定するのも図々しいとは思うのだが、いい年こいたタイ在住のおじさんたちが(メンバーにはお姉さんも含まれている)、日々の仕事のあとでミュート(消音器)を付けて演奏する姿を想像するとそれもとてもほほえましいと思う。「少しでも子ども達に良い演奏を届けたい」という思いはとても伝わったし、子ども達はそういった思い(聴衆はそんなこと知らなくてもよいと僕は思うのだが)を抜きにして、楽しんで笑いながら聞いてくれたことに意味があったと思う。

無条件に肯定してもらえる人間に囲まれた経験をもってない子ども達には、周囲の大人がそういう役として寄り添うことを示すことが重要なシーンがあると僕には思えてならない。

今年の夏に上野の森ブラスの杉山淳先生にインタビューさせていただいた際

「吹奏楽コンクールの場合は、本番で練習以上の演奏をすることはできない。だが、自由演奏会は、練習よりも本番の方が良い演奏ができる。」

という趣旨のことを先生がおっしゃっていたことを思い出す。コンクールに対する批判ということではなく、演奏の向かう先がコンクールとは異なるタイプの演奏スタイルがあるということだ。演奏する側が単に演奏することにとどまらずに相手に寄り添い、聞き手もまた演奏する側に一歩近づこうとする。そういうやりとりがどんな演奏会ではあっても生演奏にはあると思う。そしてそういう演奏会だったと思う。

思い返してみると、チェンマイでトロンボーンアンサンブルが出来るようになるまでのこの歳月はとても長かった。右指の機能をタイで無くした僕に、演奏できる楽器がまだ残っていたこと、その楽器を使って多くの人とコミュニケーションがとれたことは本当にありがたいことだった。また今回はタイの国王賛歌を含む複数の五重奏譜面を書き下ろすなど、自分の音楽活動にとっても大変意義深いものとなった。まだまだ未熟ではあるが少しだけでも高いハードルを設定することが自分の音楽経験をさらに豊かなものにしてくれたと思う。

また、留学していた頃と異なり、一生の友人を楽器を介して多く得たのもありがたいことだった。こういった無謀とも言える企画に友人達が自腹でバンコクから駆けつけてくれ、また訪問に合わせて寄付を申し出て下さる知人がいたことが本当にありがたかった。それぞれの経済状態の中で、また極めて多忙な中で、一度も訪ねたことのないタイの田舎の施設に、また様々な問題を抱えている子ども達のところに「ヨシイのやっていること」を信じてもらえて、バンコクから楽器を担いでやって来てもらえるほどの関係性をトロンボーンを通じて友人達との間に構築できたことも嬉しいことだった。

僕らがトロンボーンを演奏したところで、子ども達の現状は変わらない。ただ演奏者が聴衆と一緒になって一つの演奏を行う。そんな「祈り」の場として成立するような演奏会もあるのだと思う。

今回の演奏で、この2年間でのタイ滞在での演奏活動は終了となる。タイでの最後の演奏としては素晴らしいすぎる演奏会を企画し、参加できて本当に嬉しい。平坦では無かった自分の人生も決して意味がないわけではなかった。「全て神のみぞ知る」と改めて思う。