初任給

今朝、職場に出てくる際に事務室に立ち寄る。そこには教員宛のメールボックスがあり、そこに一通の緑色の封筒があった。

それはずばり「給与明細」であった。

お給料をもらうのは初めてではないけれど、嬉しくて庶務課でつい声を出してしまい、仕事中の事務の方々の失笑を買ってしまう。国家公務員に順ずる独立行政法人では、4月分のお給金がまるまる4月中に払い込まれるとのことで、つくづく自分の常識のなさを反省する。

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初めて「お給料」なるものをもらったとき、その額は4万円だった。もう15年前の話なのだが、バブル華やかかりしころで当時の僕から見ても「わずか」だった。高校を卒業したばかりで入社した配送会社のお給料の初任給なのだから「ちょっとだけしかもらえない」のは当たり前だった(でも実際は会社が学校の代金を払ってくれたり、幾分か家族に仕送りしていたので、年収ベースから算出すると月あたりで30万円近くもらっている計算になっていたと思う)。

特にお祝いをするにも「遊べる」お金ではなかったので、当時住んでいた寮の仲間と渋谷でコーヒーを飲んだ。なんのことはない「ルノアール」(関東を中心に展開するチェーン店)なのだが、田舎からでてきたばかりの僕にはインスタントではないコーヒーを飲むのも初めてだったし、コーヒー一杯の値段が500円もすることが衝撃的だった。コーヒーに砂糖を入れずに飲んだのもあれが初めてだったと思う。

ちょっぴりほろ苦い初任給の思い出で、ルノアールでコーヒーを飲むたびにあの初任給の日のことを思い出す。そういや「滝沢」が好きなのもそういう原初体験に引きずられているからなのかもしれない。

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実はつい先日書類を作る関係から、自分の借金を整理してみた。今まで漠然と「1,000万円ぐらいかなー」と思っていた額が、正確には日本育英会だけで810万円、卒業した大学院の学費専用のローンだけで452万円もあることがわかった。合計で1,262万円。あらためて数字にするとえらい額になっていることがわかっていて、電卓の液晶をみながらしばし言葉を失ってしまう。

幸いにも日本育英会からお借りした810万円のうち、774万円は免除職に就くことができ、これから15年間トラブルなく勤務を続ければ返済しなくて良くなるのだが、いったい普通の企業に勤めていたら何年で返せていたのだろうと思うと身震いする。というか、本当に返せていたのだろうか。今巷にあふれているオーバードクターの院生にとって、1 少子化による高等教育機関のポストの減少、2 コスト削減による非常勤の増加、3 大学院の特別免除職の撤廃、などの状況は深刻で、偶然僕は就職できたけれどアカデミックポスト(および免除職)はリスクの大きい職業になってしまった。

研究者を志したとき、師匠はみな声をそろえて「リスキーな職業だよ」といった。それはまったくもって正解だったのだが、そんな師匠たちが「自分が安心して死ぬために自分は研究する」と言った真摯な態度に惹かれてこの道を歩んできた。リスキーな職業・・・そのことは僕自身偶然に得た職だから今は実感として思うのだがでももう少し研究者を目指してきた人々にとって優しい雰囲気があってもよいのではないか。

別に金をやたらと稼ぎたいわけではないけれど、でもこのアカデミック・ポストをめぐる状況はなんとかならないものだろうか。学者になれるのが、一部のお金持ちだけの特権になってしまったら、それはとても残念なことだ。僕自身貧しかったから、それを特に思う。

何はともあれ初任給。高卒で入社したときは、その額の少なさも関係してはいたけれど、距離的な問題もあって家族に何一つ買ってあげられなかった。週末ぐらいには、実家に帰って母と姉夫婦に何か買っていこう。