再会
本日の日曜のミサは敬老の日もかねてか、ミサ中に「病者の塗油」が行われた。「病者の塗油」はカトリック教会の七つの秘跡の一つで、病の人々に聖油を塗る儀式。少し迷ったものの1年前の事故についても塗油を受けていなかったし、何より今も病気であることは否定できない事実なので、最後尾にいそいそと並ぶ。心も体も病む僕にとってこれが少しでも、病状の改善につながれば・・・これはかなり切実な願いだ。
ミサ後、精神的にも少し落ち着いたこともあって、少し楽になって帰宅の途につく。帰宅後は3ヶ月ぶりに原稿を開き、「楽しく」原稿を処理する。ああ、人間って、こんなことで良くも悪くもなるのだ。調子づいて、ひさしぶりに2食目の食事をとる。
が、こういう快調なときほど、人間の感情は爆発しやすい。どんなに気分良く作業をして机に向かっていても、ふとした瞬間に、 妬み、憎しみ、悲しみといった様々なよどんだ感情が心のわずかな隙間をみつけて殺到し自分を壊していく。嗚呼、僕はこんなにも自分を、他人を許せなくなってしまっている。
誰よりも殴りたいのは他人ではなく自分。自分の中の歪んだ心。ケンカをするためには、その相手が他人であれ、自分自身であれかなり体力を消耗するのだがその体力もない。
夕暮れ時の商店街を安い食品を求めて歩く僕は、以前は論文を書くためという目的のためになんでもできたのに、今は自分の命をつなぐためにしか、動けないし動かない。それは大変みじめだ。スーパーで50%割引の値札のついた肉を手にした瞬間、吐きたくなる。なんのためにこの商品を手にしているのだろう。なんのために僕はこの食で命をつなぐのだろう。
夕闇に沈む路地を抜け、アパートに戻る。それでもやはり僕は神に祈るしかない。「あなたが下さったこの試練に打ち勝つことができますように」。
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元彼女が我が家にやってくる。もちろん、よりを戻すとかそんな話ではなく、見舞いと近況報告とヨタ話。そしてこちらの方で現在生じている問題についての相談。2年前に別れた当初はいろいろとつらい思い出もあったけれど、不思議と笑えて、今僕が悩んでいることも素直に話せる関係へと落ち着いた。ああ、普通の友達になったんだなぁと思いつつ、今抱えている問題にも友人として真摯なコメントをもらう。
昼は今期の課題にしているニョッキを作って食べる。南瓜のニョッキはなかなかの出来で、彼女にも好評だった。昔一緒に料理をして食べた日々を思い出したりもしたのだが、相変わらずの体調不良のため、僕だけもどしてしまう。まったく絵にならない・・・。美しい思い出は、醜悪な現在によって書き換えられていくものだなぁ。時が過ぎて、お互い落ち着いた関係を築けるようになったことに驚きもしたけれど、お互いもう元には戻ることはないということに気づいたこともまた一つの発見だった。
とにかく、ありがとう。そして、どうか幸せに。
午後になり、彼女を駅まで送った後、現在唯一の収入源となった家庭教師に向かう。実はこの時間が一番楽しい。仕事のことだけを考えていられる時間は救いだ。いつまでもこの仕事が続けばいい。