帰郷とかあれこれ

出身地鹿児島に3泊4日のスケジュールで戻ってきた。
初日、朝4時半に目を覚ます。すり寄ってくる猫に朝ご飯のカリカリ(キャットフード)を与えて高速道路で空港に向かう。これまで何度も使ったことがあるセントレア空港は、今の住まいからは思っていたよりもずっと遠かった。セントレアを目指すと、太陽が昇る方向にむかっていた。「まるで世界の始まりの地にドライブしているみたいな気分」とか一瞬思って、「わしゃ○○○○(某有名作家)か」とか思い車の中で一人で爆笑する。
始発のフライトで鹿児島に向かう。1時間のフライトを終え、土砂降りの鹿児島空港に降り立つと、湿った空気がふわりと肌にまとわりつく。懐かしい、というのとは少し違う、体の奥の方が覚えているような感覚だ。そのままバスに乗り換え、薩摩川内市にある鹿児島純心大学へ向かった。この大学には、今年の春、ここに赴任した教え子がいる。
高専で初めて会った頃の彼はまだ15歳で、それから11年、たくさんの時間を一緒に過ごした。というよりも、大人の勉強会に彼がくらいついてきていた。それくらい学びに対して貪欲な学生で、それが今や同じ「研究者」。研究室の椅子に座る26歳の彼は、あの頃の面影を残しながらも、すっかり大人の研究者の顔をしていて、なんだか不思議な気持ちになる。彼がこれからどんどん伸びていくであろうことは、疑いようもなかった。案内してくれたキャンパスは、中世の修道院を模した静かで美しい場所だった。ここでなら、いい研究ができるだろうな、となんとなく思った。
それから鹿児島市に移動し、夜は、共通の知人である研究者も交えて3人で、中央駅の近くにあった圓笑へ。昔、数え切れないほど通ったそのお店は、駅前の再開発で今は西田に移っていた。街も人も、同じ場所にはとどまっていられない。当たり前のことなのに、少しだけ感傷的になる。
***
二日目の午前中は、鹿児島純心短期大学にてかつての同僚であり、また友人でもある「マッドサイエンティストのA先生」も加わってミーティング。A先生の授業に対する狂気にも似たこだわりを聞いていると、こちらもにまにまと嬉しくなってしまう。いくつになっても、こんなふうに心を揺さぶられる友人がいるというのは、本当に幸せなことだ。また附属の純心女子高等学校に勤務する先輩とも30年ぶりの再会。みなそれぞれの場所で活躍している。
ミーティングを終え、昼食のつもりで、天文館に向かう。「鹿児島名物が食べられるしっかりした定食」でも、と思っていたはずなのに、天文館むじゃきの看板に、藩士*の我々の足は吸い寄せられてしまった。言わずもがな、天文館むじゃきは『対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜 第2夜』(by水曜どうでしょう)の聖地。
*藩士・・・HTVで放映されていた大泉さん出演の「水曜どうでしょう」の信者。
3人の研究者が、テーブルを囲んでランチそっちのけで、かき氷をつつく。馬鹿馬鹿しい絵だと思う。思うのだがこれが我々なのだと思った。隣で最若手の先生が当たり前のように標準サイズの「白熊」を平らげているのを見て、時間は確実に流れているのだと、こんなことで実感する。
白熊で冷え切った身体のまま、二人とは別れて一人で別行動。この日の夕方が、僕にとって今回の帰省のいちばんの目的の講演会。その講演会の内容については先の投稿で書いたとおり。ホテルに戻って最終チェックを行う。テーマがテーマだけに、本当に人が集まるだろうか、と少しだけ不安がよぎる。
しかし、会場のかごしま国際交流センターには、平日の夕方だというのに97人もの方々が集まっていた。その熱が、演台にまでじんわりと伝わってくる。客席には、家族の顔、短歌の師匠ご夫妻、結社の同人、そして25年ぶりに会う教え子B君の姿も見えた。25年!その時間を飛び越えて会いに来てくれる人がいる。それだけで、もう充分な気がした。
いつものとおり、発声練習を1時間行い本番に臨む。手前味噌ながら大盛り上がりで楽しい時間だった。講演会はやっている本人の感情がそのまま聴衆に伝わる。こちらもありのままの感情で向かい合いたい。
講演終了後、事務局長のCさんとB君とで、近くのお寿司屋さんでささやかな打ち上げ。とても好評だったと聞いて、ほっとする。だが、「先生の講演は何度聞いても素晴らしいが、こういう活動を続けるためにも、体を大事にしないとだめですよ」と、Cさんからきつく言われる。本当にそうだ。
***
三日目は、母と姉の家族と過ごした。
昔は家族の中で迷惑ばかりかけている自分が嫌で、少しだけ肉親と距離をとっていた。母や姉と、ごく自然に笑いあえるようになったのは、この20年くらいのことかもしれない。落ち着かない人生を送っていることに変わりはなくて、心配をかけているだろうけど。
驚いたのは、母が昨夜の講演をすごく喜んでくれたことだった。昔は、息子の僕が外で何かを主張することを、ひどく嫌がっていたのに。人は変わるのだ。僕も、母も。少しは、親孝行ができたんだろうか。小さくなった母の背中を見ながら思う。
夕方、姉の運転で、姶良市にある短歌の師匠のお宅へ。師匠は体調がすぐれないはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない。短歌や種子島の歴史の話をしてすごす。
奥様が、カレーを作って待っていてくれた。僕がいちばんお金がなくて、どうしようもなかった頃、何度かご馳走になったのが、奥様の作って下さったカレーだった。変わらない味。自分でどれだけ真似しようとしても、絶対にこの味にはならない。ひとさじ口に運ぶたびに、20年前の、何者でもなかった自分の風景が、ありありと蘇ってくる。味だけが、タイムマシンのように、あの頃の僕を連れてくる。
***
最終日の朝。かつての教え子、D君の家を訪ねた。
大学を出て、ふらふらしていた頃に家庭教師をしていた子だ。10年ぶりの再会。彼は立派な青年になり、あたたかい家庭を築いていた。お母様もお父様もみんな元気そうで、それだけでじゅうぶんだった。
僕が「大学生でもなく、大学院生でもない」本当に「なにものでもなかった」時にお世話になった方。本当にありがたい。そんな善意のみなさんのおかげで僕は研究者をやれている。
続けてザビエル教会で行われる短歌の勉強会へ。前日に師匠から無茶振りされて、急遽30分ほど話をすることになった。「タイの少数民族を研究する私が、なぜ法学を学び、短歌を詠むのか」というテーマで話す。うまく話せたかはわからない。でも、自分の内側にあるバラバラのピースが、言葉にすることで、少しだけ繋がったような気がした。
勉強会の後、早々に鹿児島空港へ向かう。
この4日間、ずっと体の芯が重いような不調が続いていた。鹿児島らしいものといえば、昨日の白熊くらいしか口にしていない。ふと思いついて、エアポート山形屋の食堂で「名物やきそば」を頼んだ。
パリパリの堅焼きそばに、とろりとした餡がかかっている。懐かしい味。でも、体調おもわしくなく、やっぱり全てを食べきることはできなかった。
いつも人生で欲しいもの全部は手に入らない。そういう人生だったし、手に入れても全部を味わうこともできなかった。でも人生なんて、たぶん、そういうもので、絶えず「もう少し」不足の状態で回っているような気がした。
-
飛行機が静かに滑走路に向かい鹿児島を離れた。
明日からは後期の授業が始まる。
主の平和。


