ことばと短歌の世界―ことば遊びから表現の広がりへ―

2025年8月19日に、椙山女学園大学附属幼稚園にて年長さんの子どもたちを対象としてワークショップを行いました。
園長先生(同僚)からの無茶振りでもあったのですが、「椙山女学園大学外国語学部教授」の肩書きではなく、「短歌結社「歌のまれびと」同人」という肩書きで、今の段階で語れることを子ども達に伝えることにも意味があるように思い二つ返事で引き受けさせていただきました。そのときのワークショップの内容について、保護者のみなさんにその意図をわかってもらいたいと思い文字に書き起こしたのが次の文章になります。実際には、子どもたち向けにはもっとやさしいことばでワークショップをおこないました。
ご高覧いただければ幸いです。
はじめに
子どもたちに「ことばの力と、その使い方の広がり」についてお話して、簡単なことばのワークショップを行いました。・・・大変充実した素晴らしい時間でした。
ワークショップをとおして、「ことばは単なるコミュニケーションの道具にとどまらず、私たちの感情や思考を映し出し、さらに文学的な表現を可能にする」ことを伝えました。子どもたちにうまく伝わっていれば良いのですが。
子どもたちに向けた内容について、保護者のみなさんにもワークの意味を理解していただきたく、この文章をしたためています。
1 ことばの力
人間はことばによって世界を理解し、他者とつながります。たとえば「りんごをください」と言えば、相手に具体的に伝わり、望むものを得ることができます。
子どもたちに次のように聞きました。
「八百屋さんで、『りんごをください』といったら何をくれますか?」
子どもたちはみな「りんご!」と大きな声で答えてくれます。
人間がことばを使う理由の一つは、「意味を伝えて、目的を果たすこと」にあります。幼稚園の年長さんですと、まずは人間社会で生きるために必要な単語を覚えることが言語学習の中心になります。多くのことばを覚えた子ども達は、上品な言葉も下品な言葉も同じように「言葉を覚えた喜び」からことばを使いたくてしょうがないようです。
しかし、ことばの役割は「意味を伝えて、目的を果たすこと」だけではありません。
「おいしい」「うれしい」「かなしい」といった感情を伝えることも大切なことばの役割です。
またその際に「にぎりこぶし」=「頑張っている姿」、「下唇をかむ」=「悔しさ」といった比喩的な表現を通じて、気持ちや情景を共有することも子ども達は少しずつ覚えていきます。比喩表現を用いて、短いことばの背後にはたくさんの意味を含ませることができ、表現の奥行きを広げます。子どもたちが自分の感情を伝えるために覚えたての言葉を繋げ、長い文章として語ることができるようになることも重要です。
しかし、見過ごされがちなのですが、「ことばをたくさん覚えて、長い文章を語る」ことと同じくらい、自分の感情と向き合い、それに適した言葉を探って語るトレーニングも大切です。これは、「短いことばで感情を表現する練習」だと言い換えてもいいかもしれません。
2 多様な視点を持つということ
ことばは視点を変えることでさらに豊かになります。たとえば「りんご」ということば。
りんごを形容するとき、私たち大人はつい「赤いりんご」と表現しがちです。ですが、それはたくさんの見方の一つにすぎません。形、色、葉の付き方、さらにはテーブルに映る姿や、空の青さとの対比といった観点からも描写できます。
あかい、あおい、きいろい、あまい、すっぱい、あまずっぱい、まるい、ちいさい、おおきい、おもい、かるい、よいかおりの、しんせんな、じゅくした、みじゅくな、うつくしい、つややかな、みずみずしい、おいしい、ハート型…
このように、りんごを形容する言葉はたくさんあります。ですが、大人になると(俗に「手に垢の付いた」ともいいます)単一の表現で、満足してしまいます。「りんごと言えば『赤い』でしょ」という具合に。
しかし、上述したとおり、りんごの形容は多種多様なのです。「赤い」以外の表現を私たちは、ともすると忘れそうになります。また、りんごを人にたとえて、「りんごの気持ち」を想像することもできます。「ジュースになりたいりんご」「生まれた土地から離れて少し寂しいりんご」といった想像(擬人法)は、対象を新しい角度から理解するきっかけになります。これは、他者の悲しい気持ちに寄り添う練習にもなるでしょう。さらに「りんごの酸っぱさは胸の高鳴りに似ている」といった自己投影的な表現は、ことばを通して自分の感情を客観的に見つめ直す行為になります。
現代の日本社会は、とかく他者を「なんらかの違い」によって排斥する社会になってしまいました。しかし、そもそも「りんごひとつとっても、『同じりんご』は存在しない」ことに気付いてくれた子ども達は、「『○○人』と一緒くたにまとめ上げられるような人間もいない」ことにも気付いてくれると信じています。
身近にある例えば一つのりんごをめぐって考えられるあれこれが、子ども達に多様性を考えてもらうきっかけになればと考えます。
3 ことばのあいまいさと精密さ
さらに「りんご」という名詞を形容する言葉ではなく、「おいしい」などの自分の感情を表す表現を子どもたちが問い直すことは、豊かな言語感覚を育み他者の立場を想像する力を生み出すと僕は思っています。
「おいしいりんごをください」と言っても、その意味は人によって異なります。「おいしい」の意味が、ジュースを作るなら「水分たっぷり」の甘いりんご、パイを焼くなら酸味のあるりんごが適しているように「おいしい」の意味も変わってきます。
「おいしいりんご」のイメージは、形状ともかかわります。子どもたちからは「ウサギさんのりんご」が美味しいりんごだという意見もありました。ご家族がその子のためにカットしてくれたウサギさんのりんごは、味わい以上に子どもの心を揺れ動かすそれはそれは美味しいリンゴだったと思います。
ことばは便利な一方で(特に形容詞や形容動詞はそうですが)、常にあいまいさを内包しています。そのため、より正確に伝えるためには、自分にとっての「おいしさ」とは何かを深く考え、具体的に言葉にする必要があります。
このトレーニングのベースにあるのは、「おいしさ」という言葉の裏にある、その子にとってのたくさんの「おいしさの本質」と向き合うことです。その本質に向かいあうためのトレーニングとして定型詩を詠むことは子どもの教育に役立つと考えています。
子どもたちとは、次のようなワークをしました。
・「暑い夏」を「暑い」を使わずに表現してください。
みなさんならどう答えますか。
子ども達がうなずいてくれた回答の一部がこちらです。
・半袖が気持ち良い夏
・蝉の声がうるさい夏
・アイスクリームが美味しい夏
・新幹線が混む夏
・トイレの便座に座れない夏
「暑い」という言葉で「言い表した」気分になってしまいがちな本来は一人一人が異なる感情をきちんと言語化するワークを通して、ことばは単なる意志を伝える発声のみの行為なのではなく、自分の心を見つめ、意味を明確にする「思考の作業」でもあることを、子どもたちと分かち合いました。
4 短歌と俳句 ― 日本の定型詩
こうしたことばの使い方を極限まで凝縮して表現した文学が、日本の伝統的な定型詩です。
短歌は五・七・五・七・七の三十一音で、俳句は五・七・五で成り立つ世界で一番短い文学形式だと言われています。この限られた音数に豊かな気持ちを込めます。
子どもでもわかりやすい短歌を数種用意しましたが、子ども達の中で一番的確に解釈してくれたのは次の歌でした。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)
この歌の解釈をここで書くような野暮なことはやめますが、俵万智さんの歌のように「冬」を「寒い」と表現するのではなく、「暖かさ」で表現することも可能であることを5歳の女の子がわかってくれ、それが他の子ども達にも「なるほど」という共感を広げていったようです。
私自身は短歌と俳句によって語られる世界観は異なると考えていますが、俳句でも短歌でも定型詩の世界に触れることは、ことばの世界を大きく広げると考えます。たくさんの言葉を尽くすのではなく、短いことばの中にどのように気持ちを込めるのか。これは歌人にとって表現上の大きな問いですが、子どもたちにとっては、「伝えたいことの本質をとらえる」トレーニングになると思います。
5 生活を詠む
短歌・俳句の題材は特別なものばかりではありません。日常の一場面もまた詩になります。今回は時間の都合上、短歌の上の句だけを使いましたが、
・お弁当 バスのなかから 手を振った
・はじめての 靴ひも結んで 出かけよう
いずれも日常生活の「喜び」を表した表現です。このような生活詠は、何気ない日常に詩的な美しさを見い出す活動です。ことばによって子どもたちの「日常」が「詩の風景」に変わる瞬間です。
また、椙山女学園大学附属幼稚園の豊かな自然環境は、子どもたちに詩の大きな題材として四季の恵みを与えてくれるでしょう。
子ども達と考えたのは、簡単な五七五の散文です。
・たんぽぽの花にうもれて子が眠る(春)
・ひまわりの光のなかで手をつなぐ(夏)
・コスモスが地球をまわすほどに咲く(秋)
・スキーしてころんで笑う雪だるま(冬)
四季それぞれに、自然の風景や生活の記憶が結びついています。ことばを通して季節を切り取ることは、日本で暮らす感性と深く結びついた活動です。
ことばは遊びから始まり、やがて創作へとつながります。春と聞いて桜を思い浮かべる人もいれば、蝶や入学式を思い浮かべる人もいます。その多様な連想をつなぎ合わせれば、一つの詩になりえます。ことば遊びは、創作の最も素朴で自由な出発点です。
まとめ
ことばは、生活を詠むことで日常を豊かにし、季節を詠むことで自然とのつながりを深めます。短歌や俳句はその精緻な表現形態であり、日本文化が培ってきたことばの芸術です。
ことばを通じて私たちは世界を多角的に捉え、自らの心を表現し、他者と共有することができます。今日の話を通じて、皆様にもことばの可能性と、その豊かな広がりを改めて感じ取っていただければ幸いです。
今日の言葉をとおした子どもたちとのささやかなやりとりが、子どもたちがことばについて考えるきっかけになればこんなに嬉しいことはありません。
わたしにとっては
「こどもたちとことばについて考える手に汗握って喉が渇く夏」
でした。


