名東ウインドオーケストラ 第26回定期演奏会

2025年の夏は、ことさらに「線引き」や「排除」を正当化する言説が、公の場に溢れた季節となった。先に行われた参議院選挙では、外国籍の人々の権利を制限すべきだと訴える候補者の声が、拍手とともに拡散される場面すらあった。

こうした風潮のなかで、大学の教壇に立つ者として、自らの教育・研究活動を通じて何を語り、何を託すことができるのかについて、日々、考えずにはいられない時間が続いている。特に大学はかつてのように理性を媒介として人々に指針を示すような力をすでに失って久しいようにも感じている。しかし、それでもなお、理性に基づく対話を通じて公共圏を形成していく営みの一端を、大学が担い続けてほしいとも願っている。

いまなお、ユルゲン・ハーバマスが描いた公共圏の理念に心を寄せるのは、政治から離れた文芸や音楽という営みが、異なる背景をもつ人びとがひとつの響きに身を委ね、互いの存在を静かに確かめ合う、もっとも根源的で力強い共同作業の一つだと信じている(信じたい)からである。言葉を交わさずとも音に耳を傾け時間をともにすることで生まれる「つながり」の可能性を信じたいと思っている。

ささやかな試みではあるのだが、私自身が市民オーケストラや市民吹奏楽団に関わり続けることには、僅かながらでも確かな意味があると考えている。それは、一つの芸術的営みであると同時に、現代社会に対する静かな応答でもある。

思えば、都城工業高等専門学校吹奏楽部の顧問をしていた頃は、学生とともに楽器を通じて多くの感情を分かち合った。曽於市のメセナ楽団では、豊かな自然に囲まれながら、音楽と真摯に向き合おうとする人々の営みに多くを学んだ。富山地鉄吹奏楽団では、社内バンドというかたちで、音楽を介して社内のつながりを再構築する試みに立ち会うことができた。また、富山シティフィルハーモニーでは、肩書きや出自にとらわれず、音楽に真摯に向き合う喜びを味わわせていただいた。

いずれの楽団においても、ひとりの奏者として迎え入れてくれたことには感謝の念に堪えない。日々の生活と演奏活動とを両立させる人々の姿から学ぶことは実に多く、音楽を媒介としてのみ立ち上がる関係性が確かに存在することを実感してきた。こうしたつながりの場こそが、排他の論理を超えて、人が人として出会い直す可能性を拓いてくれるのではないかと信じる。

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今年、富山から名古屋へと生活の拠点を移したばかりで、この土地にまだ十分に馴染みきれずにいた。そんな折、名東ウインドオーケストラとの出会いがあった。前々任地の宮崎や、前任地の富山と異なり、人口規模の大きい名古屋には、数多くの市民吹奏楽団や市民オーケストラが存在しているのだが、演奏できるポジションはなかなかなかった中で、幸いなことに居住地近くの楽団にポジションを得ることができた。

まもなく開催される名東ウインドオーケストラの演奏会も、社会のざらついた空気の中にあってもなお、「人と人とのあいだに開かれた場」を信じようとする、静かな意思表示の一つであればと思う。今回取り上げられるラヴェルもまた大変感慨深い作曲者である。

今回取り上げる作曲家ラヴェルは忘れがたい存在だ。中学生の時に《展覧会の絵》のオーケストレーションに圧倒され、《ボレロ》の構成に心を揺さぶられた思い出がある。大学院生となって初めて、東京都交響楽団の生演奏によって《展覧会の絵》を聴いたとき、ラヴェルへの敬意と魅了の念は、いっそう強まった。

ちょうどその頃、マイノリティ研究を始めた私は、ラヴェル自身の生い立ちにも興味を抱いていた。父ジョゼフはスイス出身、母マリーはスペインとフランスの国境にまたがるバスク地方の出身であり、ラヴェルはとりわけ母方の影響を強く受け、バスク系フランス人としてのアイデンティティに誇りを持っていた。こうした周縁的な出自が、フランス音楽界の中枢であるパリ音楽院において彼が幾度も冷遇された背景にあったのではないか、とする指摘もある。たとえばラヴェルは音楽院主催の「ローマ大賞」では、繰り返し最終選考で落選させられている。ラヴェルはフランス音楽界の保守的な価値観や中央集権的な審美眼に対し、静かに抗していたようにも思われる。

ラヴェルの作品には、スペイン音楽、東洋的旋法、リズム構造など、西洋中心主義を逸脱する語法が随所に見られる。《シェエラザード》には中東やアジアへの幻想的な想像、《ボレロ》にはスペイン的旋律と執拗な反復、《ダフニスとクロエ》には、ギリシア神話を題材としながらも、官能的かつ非キリスト教的な世界観が描かれている。もちろん、それらは同時に、当時ヨーロッパ音楽界に広がっていた「異国趣味」的オリエンタリズムと無縁ではない。しかし、ラヴェルはそうした趣向を一時的な装飾としてではなく、作品の構造的核心にまで取り込み、自らの音楽言語を再構築したように思われる。演奏者として見たとき、例えば《ボレロ》におけるトロンボーン・ソロに現れる過剰なほどのグリッサンドと技巧的要求は、典型的なヨーロッパ音楽の構成からは出てこない発想であるようにも思う。それだからこそ今なお世界中のトロンボーン奏者を惹きつけてやまない所以ではないかと感じている。

ラヴェルが著名な作品を書き終えた後に第一次世界大戦に志願し、トラック輸送兵として従軍したこと、戦後の創作活動において沈黙を選んだことはよく知られている。主流からの疎外や誤解を経験しつつも、彼は芸術によって自らの価値観や世界観を表現し続けた。そこには、あらわな政治的発言ではなく、音楽を通じた「沈黙の抵抗」があったのではないかと考えている。

そんなラヴェルの作品を市民楽団でこの時期に演奏することにもまた一つの意味があると思う。・・・というか、今回のプログラムはいずれも西洋のオリエンタリズムを考える作品群なのだが。

主の平和

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以下、名東ウインドオーケストラの定期演奏会のCMです。ラヴェル好きの方、是非おいで下さい。

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名東ウインドオーケストラ 第26回定期演奏会
The Ballet!「躍動の舞踏、響きあう魂」
ファリャ《恋は魔術師》

レスピーギ《シバの女王ベルキス》

ラヴェル《ダフニスとクロエ》(全曲より抜粋)
(指揮:井村誠貴)

日時:2025年8月10日(日)14:00開演(13:30開場)
会場:名古屋文理大学文化フォーラム(稲沢市民会館)
入場料:900円(全席自由)
チケット:https://teket.jp/4832/45020