タイ語での授業そして講演依頼
先週は所属する泰日工業大学にて授業を持つ機会に恵まれた。今回の訪タイは、高専機構本部からの在外研究制度による協定校派遣といった意味合いのものであったため、赴任先の大学運営にも積極的に参加するようにという指導があった。もちろん、こうした機会にはなるべく参加するつもりではいたが、まるまるタイ語の授業をこの段階でいきなり4コマ分持たされるとは考えていなかったのでとても驚いた。
実はタイの大学生に授業をするのは初めてではない。10年前に一度チュラロンコン大学で「社会理論特講」という授業で、フランクフルト学派と「新しい社会運動論」及び「資源動員論」について英語で180分話した事がある(タイの大学では一コマが180分構成)。だがその時と異なり、全編通してタイ語で授業をするというのは初めての経験。また、今回は「知的財産教育の研究者」という触れ込みで渡タイしたため、日本の知財教育の流れを追えるように授業を組むことから始めることができた。具体的には「身の回りにある知財」ということで『日本マンガ史』『日本サブカルチャー史』をレクチャーし、『知的財産権』の授業を行った。タイでは、知的財産権のうちでも特に著作権に関する問題が多く発生しており、(現在はさすがに許諾をとっているのだが)日本のマンガのコピーも多く、学生は身近な問題として著作権の問題を捉えてくれたようだ。
そうした学生対象の授業の後に、現在所属する情報学部の先生方に向けたFD研修会の講師を務める。タイの大学(少なくともTNI)で行われる授業は、現在そのほとんどがスライドウェア(KeynoteやPowerPoint等)を用いて行われており、デフォルトの状態でフォントの線が細いタイ語は、かなり大きめに設定しないと遠く離れた席からは読みにくい。にも関わらず、スライドウェアの作成に関してはあまり配慮がなされていないようである。学生の先生方への接し方も現在の日本のそれとは大幅に異なり、例えば教員に質問があるときも、膝をついて教員よりも頭が高くならないように気を付けながら質問をする。そうした土壌もあって、教員への学生への配慮が不足していてもそれに学生は文句も言わず、また教員もそういうリクエストに応えない様子であった。FD研修会の内容としては、これまで何度も日本の社会人講座(特に都城の「まなび長屋」)で話をしてきた「シンプルプレゼンテーション」のテーマであったが、TNIの先生方にも分かりやすいと好評だった。
さて、このFD研修会の後ちょっとした出来事が。その場にいらっしゃった先生のお一人がNECTEC(タイ科学省のコンピュータサイエンス系の研究機関)の元理事だったらしく、終了後につかまって「金は用意するので、科学省でレクチャーをしてほしい」と言われて許諾せざる得ない状況になる。またASEANの拠点でも話をしてもらいたいという依頼を受ける。
これまで日本でやってきたプレゼン講座は、どうやら世界でも(限定していうと、タイ・マレーシア・シンガポールでも)通用するみたいだ。10年前にタイにいたときはまったく仕事がなかったのに、こうやって仕事って増えていくんだなぁ、と思うと、これまた胸にぐっとこみ上げてくるものがあった。考えてみれば、プレゼンや知財のことについてじっくり取り組むようになったのは、10年前の無職だったタイ留学後のことだった。何もかもが人生に無駄なくリンクしているのだな、と思う。これまでの講座を受講して下さった方々や都城の友人達からのフィードバックがあって、ここまでこれたのだと思うとこれもまた胸いっぱいであった。
人生は短く、出会える人間の数は限られている。そんな限られた人生の中で、多くの方々にお会いすることができることと、いろんな機会を与えられることはなんて幸せなんだろうと思う。