極めて個人的な話なのですが
本日無事に41回目の誕生日を迎えた。
これまでもずっとそう思っていたのだが、僕は自分がこんなに生きられるとは思っていなくて、タナトゥスというか死というものにいつも引っ張られながら生きてきて、今日もそういう一日のスタート。10年前31歳の誕生日の時は、腕の手術のためにチェンマイの病院でベッドの上で一人で迎えたのだが、あれからもう10年が過ぎたのだなぁと思うと感慨深い。
最近の毎日のニュースは、キナ臭いものばかりで、それらのニュースに喜びを感じることよりも落ち込むときの方が多い。というよりもショッキングなニュースはメディアに載るが「嬉しい」ニュースなんていうのは取り扱われないものなので、自然と悲しいニュースばかりが目に付いてしまうのだろう。幸せで単調な日々はニュースにはならない。その幸せな日々が終わったときだけ「悲しいニュース」として世間に知れ渡る。加えて紙の新聞ではなく、ネットのクリッピングサービスを利用するようになると、特定のキーワード(僕の場合、「DV」とか「大学改革」とか「山地民」とか)に反応したニュースが自動的に送られてくるので、そういったことも悲しいニュースばかり読んでしまう一因なのだ。
ただ、タイの山の中に入ったり、原発について、憲法について発言できることが僕に与えられた能力であり、それが僕に与えられた恵みである以上、ずっとそうやって生きていくし、またそれ以外の生き方もできないんだろうな、と思う。たぶん端から見て、かなり無駄な生き方をしていると思うのだが、他に糧を得る手段はなく、今後もそうなのであろう。
人生を20年で区切る方法というのをタイで知り合ったNGOの方から聞いたのだが、イタリア人の彼は人生を20歳、40歳、60歳と区切り、はじめの20歳は自我の確立のため、40歳までは自分と家族のために、40歳からは人々のために使うのだという。そして僕はそういう年齢になった。昨年から心がけていることではあるが、これからの僕の人生はそういう生き方が求められている。
ヨブのように哀しみもまた人生の一つの恵みとして受け止めよう、というのが洗礼をうけてからずっと抱えてきたテーマだが、心の中では、とりわけ大きな喜びはいらないから、何もニュースのないような、日々の喜びをかみしめることのできるような毎日を過ごしていきたい、と思う自分がいる。好きな歌と、好きな音楽と、美味しいパンを手にのんびり語りあうようなそんな牧歌的な人生を過ごしたいと思う一方で、まだまだストイックに生きていかなくては、と思う。
もう少し、つらいニュースを読もう。そしてもう少しだけ、つらい経験をしよう。そしてつらい経験をできるだけの体力をつけよう。悲しいニュースに耐えられるよう、妻との日々、学生との日々、社会での日々を充実させよう。
40歳を超えてそんなことを思うのだった。
今年が他者と寄り添うような日々の生活を送る機会が続くことを感謝できるような1年となるように。