トワイライトトロンボーンカルテット演奏会
トワイライトトロンボーンカルテットの演奏会が三股町で開催された。昨年度も聴きに行ってきたのだが、とにかく「楽しい」コンサートだった。
トロンボーン四重奏のCDを買う人、また演奏会に行く客層というのはどういう人が多いかというと、一番多いのはやはり「自身がトロンボーンを演奏する人」、なんではないかと思う。酷い言い方をしてしまえば、トロンボーンという決してメジャーではない楽器に関わる人間という狭いマーケットを前提として、こういう演奏会は開催される。残念ながら、例えば弦楽四重奏のようなマーケットとは明らかに違う。弦楽四重奏が流れる病院の待合室にトロンボーンカルテットが普通に(別にバリチューのカルテットでも、サクソフォーンカルテットでもいいが)が流れる日が来るのは、「トロンボーン吹き以外の人が普通にやってくる」演奏会が普通に開かれるようになってからになるだろう。
トロンボーン吹きのためのトロンボーン演奏会、とでもいうのだろうか。「CD発売に合わせ、CDに収録された曲を演奏する演奏会」、というのはそれはそれで意義のあることなのだが、それでは「トロンボーン吹き」という顧客層の域を出ないのではないかと思う。これは決して批判として言っているのではなくて、きっと音大生(を目指す学生)やプロの方々にとって洗練された音楽を、「トロンボーン吹きのためのトロンボーン音楽会」によって聴くということにも意義はあるだろう。
でも「トロンボーン吹きだから聴きに来る」のではなく、「よく解らないけれど、あの人たち(団体)のコンサートは楽しいから行く」というのがあっていいのではないかと思う。もっともこうした懸念は宮崎という地方都市だから起こる現象で、すでに都内などでは、普通にトロンボーンの演奏会にトロンボーン吹きでない人々も多く集まるようになっているのかもしれないけれど。
ところが、だ。今回のトワイライトトロンボーンカルテットの演奏会は、新CDのリリース記念コンサートと謳いながら、演奏曲の半分以上がCDに未収録の曲という「強気」の演奏。しかも、後半はギャグあり、スベリ芸ありの爆笑系のコンサートだった。メンバーのプロフィールなどをみてわかるとおり、実力はあるし僕のような素人が語るまでもなく相当に上手い。一部の最後の「Four for Four」なんか、さりげなく高等テクニックが駆使されていてまったく身動きできないような圧倒された音の作り。
しかし、とにかく楽しいのである。前半の技巧的な曲に感心し、「さすがプロは違うなぁ」と思う一方で、20分後の後半には会場全体が笑いに包まれるという、なんだこれは「シャボン玉ホリデーか?」(わかんないだろうなぁ)というようなステージだった。はっきりいって、手作り感一杯のダンボールにマジックで書かれた小道具など、「若手お笑い芸人のライブか!」と言いたくなるようなお粗末さなのである。
だが、ほぼ満席となった会場は、トロンボーンとはまったく縁の無い客層が中心で、「どっ」と笑いがでて、何よりも演奏者が照れがなく楽しんでいる様子が伝わってきた。「トロンボーンが好きだから」演奏会に来るのではなく、「トワイライトが好きだから演奏会にやってくる」層がこの地方でできあがっていること、そんな方々と同じ空間を共有できたことが嬉しかった。
僕は故あって(右手の障害)、トロンボーン以外の楽器は演奏できなくなり、あらためてトロンボーンに向かい合うことでその愉しさをまた改めて解るようになってきたのだけれど、でも、これからは「トロンボーンの演奏会だからやってくる」のではなく、「トワイライトが好きだからやってくる、「あのにいちゃんたちが演奏するなら聴きに行く」という層ができているのはいいなぁと思った。手前味噌ながら、指揮者のSさんがいつも企画される都城高専の吹奏楽部の演奏会、トランペッターのH先生が指導する財部・末吉高校の定期演奏会などが人気があるのはそういったことを念頭においているという理由によるのだろう。
そうえいえば以前、末吉で行われた自由演奏会(これは、何年も楽器を離れていた方々が数十年ぶりに楽器を持ちだして演奏するような、即席のメンバーによる演奏会)で、「なんかわからんけど人が集まるのが好きでやってきた」というおじいさんとお話をしたことがあったのだが、そういうのがあっていいのだと思う。なんたらコンクールの優勝者でなくても、見たことも聞いたこともない楽器であっても、「楽しそう・楽しいからやってきた」音楽会が増えるのはすごくいいことだなぁと思う。
そして同時に「法学を学びたいから吉井の講義を受ける」のではなく、「吉井が喋るから、講義を受ける」という層を増やしたいと思ったのであった。僕ももっとがんばらなきゃなぁ。