4年建築学科の学生の試み
久しぶりの快晴。そして日曜日。 久しぶりに教会でミサを受ける。この三ヶ月ほど教会に通うこともできず、ただでさえ業の深い僕としては、毎日沈むことも多い「仕事に追われた日々」。「忙しい」というのは、「心」を「亡くす」状態を表したものだそうで、この3ヶ月は、なるほど僕は「心を無くした」状態が続いていたように思う。
忙しい時間というのはその渦中にいると「なんでこんなことやっているんだろう」と悔いるようなことも多い。でも、その昔は僕は職がなくて、「どんな仕事でもやります」というスタンスで仕事をしていたはずなのに。
今日の教会のミサは「皇帝のものは皇帝へ」というあの下り。どちらの方向を向いて僕はいきればよいのか。僕は「何」を神からいただいており、その「何か」をどういう形で神に返せばよいのか。
心が帰って行く場所をちゃんと考えなければならないと、40歳を前にして今更ながら考えるのであった。
時同じくして、本日は都城カトリック教会の近くにある西都城駅にて学生の文化祭研究発表のオブジェクトの展示。必死に形を作りあげようとする学生の姿から学ぶことがとても多いことにまた気づく。
僕が帰る場所はこういうところだったのだ、と思うことの多い日曜日。