百日紅の花咲く
本務校には大きな百日紅の樹木があり、赤紫色の花を咲かせている。
その花を眺めながら祈る。
百日紅は、たくさんの罪を背負ったキリストのように、幹はぼろぼろで樹皮をまとっておらず、とても美しい花を咲かせており、そしてその花が鮮血のような赤色を散らしていることも、なんでだかクリスチャンである僕にはこんなに恵み深い。
「自分が汚いことをよく知っているからこそ、認めたくなくてつい目を背けたくなる。」
そんな周囲がひれ伏してしまうような「残酷なうつくしさ」を百日紅は持っていて、自分と向かい合う力のない僕は百日紅の花を直視できない。
だからただただ目を伏せ、懺悔する。
今年も、来年も、再来年も。
闇に沈む百日紅の木の下で、ただただ僕は項垂れる。
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百日紅の花を眺めながら祈り、そして懺悔を重ねる。
そして
キリストなんか信じられないと言っていた友達の分を祈り、
偽善者といってはばからなかった知り合いの分を祈り、
何も信じられないといっていた通りすがりの人のために祈り、
よこしまな自分を懺悔する。
キリストではなく、百日紅の木一本に向かって祈る。
みなさん、どうか幸せでいてください。