蟹索庵制作方針

ネットサーフィンをしていると、たまに「すごく重たいページ」に出会ったりしてとてもいらいらします。そのほか、文字コードは合っているはずなのに、何度「再読み込み」アイコンをクリックしても文字化けがとまりません。ついついブラウザの「読み込み停止」を押してしまいます・・・。

インターネットが登場した時、だれもが「情報を自由に手に入れられる」、「だれでも情報を発信できる」、「誰でも世界とつながることができる」と思いました。

しかしそれは幻想でしかないのではないでしょうか。「情報を自由に手に入れられる」、「情報を発信できる」、「世界とつながることができる」ような『誰か』とは、実は『私たち』でしかありえません。すなわち、通信網の発達した社会にすみ、ADSLや少なく見積もっても14,400bps以上のスピードで情報をダウンロードでき、高性能CPUが搭載されたパソコンを使っている『私たち』しか世界につながることはできないのです。そこには、ネット上の弱者の存在が、現実の弱者同様に無視されている現実が浮き彫りにされています。

もっとたちの悪いことに、インターネット上では双方向性がなまじ保証されているように見えるだけに、企業の中には、「ホームページを作っている」ということにのみ満足し、インターネットにおける言論の責任を十分に尊重していないばかりか、運営もおざなりであるばかりか開き直っているところもあります。

ネットサーフィンをある程度こなしてみれば国の違いや、国内でもサーバー間の違いによって、回線の早い・遅いがあることがわかります。同じファイルをダウンロードするのに、大きな時間差が生じていることを体感するでしょう。ホームページの作者の本当に伝えたいことは、私たちが「読み込み停止」のアイコンをクリックした次の瞬間に出てくるはずだったのかもしれません。

特に非英語圏から情報を発信しようにも、現状のコンピューターシステムではデフォルトでその情報を読むことすらできません。試しにタイ国内のサーバーにネットサーフィンしてみてください。タイ語の情報を読もうと思っても、ほとんどの(日本だけでなく世界のほとんどの)コンピューターにはタイ語フォントはインストールされてはいませんし、タイ語のドライバもインストールされていないため、こちらからタイ語の情報を読むことも書くこともできません。

特に昨今、JAVA言語をむやみやたらと使う(そのわりに使う価値のない)ページが多く、(例:単に文字列をスクロールさせるだけだとか、画面を切り替える度に色を変えるページだとか、またはクリッカブルカップをむやみやたらに使っているページであるとか)ホームページを作ったという事実だけに満足しているページがやたら増えたように思います。

インターネットは世間でいわれているとおり、一見したところ「誰でも自由に情報にアクセスできる空間」です。ですが、その背後には「確保されているはずの『平等』」の下、不平等が隠蔽されていると私は考えます。

またネットの中の情報は自由にリンクされてしかるべきだと思っていますが、商業利用で使われる方のリンクはおことわりします。他者の成果を使って、金儲けをしようというのは言語道断だと思います。『超整理法』の野口悠紀夫先生とAAJの「ガイド」さんたちは「他人のふんどしで相撲を取る」ような商売はやめられたほうがいいと思います。

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という文章の原文を書いたのが1999年のことでした。AAJの話や野口先生の話はそのあと加筆したのですが。今ではだいぶネットの環境も変わりましたが、でも大筋では上記の事柄は解消されていないと思っています。自省の意味も込めて、この製作方針を再度掲げておきたいと思います。