CUSRIのこと

かつてお世話になっていたチュラロンコン大学社会調査研究所(Chulalongkorn University Social Research Institute:CUSRI)を訪れた。

この研究所に留学していたのはもう10年以上も前のことで、この研究所の日本人第一号の客員研究員が僕だった。第一号の僕の時には研究室が与えられずに図書館の一室に部屋を割いてもらって無理矢理研究室を設置してもらった。北タイを研究する人間ならば本来はチェンマイ大学に留学するのが筋だったのだが、僕の場合はロータリークラブの国際親善奨学生という立場だったので、受け入れ先のロータリークラブがあるバンコク市内で受け入れ先を探す必要があり、そのためチュラロンコン大学しか選択肢がなかったのだった。だが結果的にはこれが大変よかった。

幸運だったのは、2001年に留学した当時、タイで常時接続の回線が設置されている研究室は少なく、それ以前の所属であった慶應SFCと同じ状況で研究することができた。また、社会問題に関する研究所だけあって、タイ国内の社会問題に関する資料が集められており、ノルウェーの教会が行った山地民生活プロジェクトの資料など山地民に関する貴重な資料が集められていた。ただ残念なことにそれらの資料群は僕が利用するまではホコリをかぶっているものがほとんどだった。結果的に僕はその山地民関連の貴重な資料群にバンコクの大学図書館で出会うことになり、バンコクでの日々は午前のタイ語学校と午後の資料リーディングに費やされることになった。

後に知ることになったのは、このCUSRI図書館資料群に匹敵する/それ以上の収蔵を集めていたものは、チェンマイ大学の旧山地民研究所(hilltribe center)だけであったらしい。「らしい」と書いたのは、僕が留学した当時、2000年の段階で山地民研究所はすでに閉鎖されており、資料は一部チェンマイ大学図書館と山地民博物館に移動されたが、書籍でないものは行方がしれなくなっていた。一部はチェンマイの古本市場に流れたと後に聞かされた。全ては偶然だったのだなぁと今は思う。

また、僕が留学していた当時、コンピュータはまだまだタイの学生には手が出ない商品だった。CRTのでかいディスプレイを備えたコンピュータを10台ほど並べたCUSRIの図書館は、学生が無料かつ自由に使える唯一の空間として学生が頻繁に出入りしていた。僕のタイでの受け入れ教官は、メディア学部の教授だったこともあって、タイの学生とつたないタイ語で今後のコンピュータメディアがどのようにタイの社会を変えるのか、そんな話をしたもので、これまた結果的にこの時代の論考が博士論文の中の一節として生きることになった。これもまた偶然の産物だった。

大学の予算縮小にともなう人員削減は日本だけでなくタイでも同様なようで、久しぶりに訪れたCUSRIではかつてお世話になっていた附属図書館のスタッフは半分に減らされていた。タイでもiPhoneやAndroidが普及し、ユビキタスコンピューティングが実用化された今日では、学生達もわざわざ図書館にはこなくなったらしい。かつての資料もまたほこりをかぶり、あれだけ稼働していたCRTのディスプレイも同じように再びホコリをかぶっていた。今後これらの資料をPDF化し、Google Scholorなどで検索できるようにする計画もあるとのことだが、需要が見込めないこともあって躊躇しているらしい。

自分の知っていたタイも変わっていく。それはもちろん「哀しい」ものではなく、当然起こりうるべくして起こった変化でしかない。そこにノスタルジックな感情を一方的に抱くのは不遜であろうが、あの古書群を黙々と読む作業の愉しさをもう誰も味わえなくなるのかと思うと少しだけ寂しかったりもする。

明日からチェンマイである。