ひめゆりの塔

体調不良が続いておりましたがなんとか沖縄に来れました。本日から沖縄国際大学にて初年次教育学会です。

昨日はレンタカーを借りて気になっていたひめゆりの塔や白梅之塔などの戦争遺跡を回ってきました。南北之塔にも来月予定されている北海道での講演の取材も兼ねて訪ねてきました。アイヌの日本兵が多くこの土地でなくなったとのこと。TBSの報道特集でも取り上げられていましたが、この集落の方々がアイヌの方々に感謝して建てられたとのことで「キムンウタリ」(山の仲間)とアイヌの言葉も彫ってありました。

今回、ひめゆりの塔とその資料館に行けたことは本当に良かったです。少女達が「イメージとしての戦争」から「戦争のリアル」と向かい合う過程の克明な記録から、多くの事を考えさせられました。そして200名を越す犠牲者の写真が展示されている部屋では勤務している学生のことのことを重ねてしまい泣いてました。歳を重ねると「展示を見て泣く」という経験はなかなかなくなりましたが、僕にもこんな風に感情を揺さぶられることがまだあったのだと、その昔涙もろかった僕はそう思いました。

戦争だけでなく、「国家の大事」のために誰かが犠牲になる世の中で、どう生きていけばよいか悩んでいる女性は(もちろん男性も)まだまだ多いと思います。そして「戦争」が終わった今でさえも誰か(や特定の世代やどこかの地域)が犠牲になることで維持される社会で良いのかと思うことばかりです。

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「人間の安全保障」という研究分野があります。この分野は、これまで「平和」の反意語として「戦争」が扱われたことに対する批判から生まれました。

「平和の反対である戦争」さえ(日本で)起きなければいいのか

という反省から生まれた分野です。

「戦争がいけない」のは当たり前です。ですが、「戦争」さえ起こらなければ、特定の人々に悪意ある言葉を吐いたり、特定の地域の人に過度な負担を押しつけたりすることが許されて良いのか。・・・今夏亡くなった指導教官は、この分野を日本で立ち上げたメンバーの一人でした。そんなことも思い出しました。

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A&Wで遅い食事を終えてホテルにもどってきたところ、国道沿いには選挙に向けて有力候補のお一人のサポーターが500メートルほど並んで立っていました。

政策についてどうこういうのは止めますが、沖縄にとって平和問題がどれほど大事であるのか今日は改めて考えさせられました。

「平和」について誰でも語れる世界は大事です。ですが、それは「戦争に存在したリアルを十分に語り継いでいる」ことが大前提なのだとも思います。ただし、大義名分を語るのは実は簡単です。戦争のリアルと向かい合った「言葉を発せられなかった」人々について私たちはまだまだ耳を傾けるべきであるように思います。

主の平和。