文化を担うということの意味

通勤時に星ヶ丘テラスを歩いていたら、レクサス星が丘がプロデュースした「クルマに夢を書こう」プロジェクトの成果物が展示してあった。
街角アートの意義がわからないわけじゃないけれど、「自由なアート」を意図したら無秩序になったというところか。主催者側もまさかこういう結末になるとは思っていなかったろう。
一つ一つ取り上げるのも嫌なのだが(写真には収めてあります)差別的な書き込みもあれば、他人の夢を黒マジックで塗りつぶしているのもあり、なんとも醜悪だ。近くの高校の学生が書いたとおぼしき、読むに堪えないメッセージもたくさんあり、これはすぐに撤去した方が良いと思うが、レクサス一台を潰してしまった以上、展示しないわけにはいかないのだとも思う。レクサスと親会社のトヨタにも、またこのイベントを主催した星ヶ丘テラスにも同情しかない。
常々思っていることなのだが、子供やアマチュアの「自由な発想」や「斬新なアイディア」というのは全くあてにならないと思う。憲法めぐるあれこれに、憲法の全文通読したこともなければ、基本解説書を読んだこともない方々が口を出すのも似たようなものかとも思う。
・・・とこういうことを書いてFacebookにアップしたところ、社会学者の友人から「これはこれで現代をよく表しているアートではないか」という指摘をもらった。
確かにそのとおりで、安易なアマチュアリズムがはこびる結果、こういうおぞましいものを生み出してしまうのが現代なのだと思いいたった。他人の夢をマジックで塗りつぶし、公共のスペースに差別的な書き込みをするSNS時代の市民参加型アートとして、記憶に止めておきたい。
主の平和。


