徒手空拳

以下の「自民党の歩みと未来への使命」を読みました。
一言で言えば、「突っ込みどころが多い文章」だと思います。
Facebookで論争を行いたくはないので、コメントはオフにしておきます。このテーマに興味がない方は、以下読み飛ばしてください。当方のフォローも外していただければと思います。
なお、真正面からこの文章を批判することについて、当方はSNSで根拠のない議論が飛び交い、法解釈を都合の良いように変更してしまう与党が政権を持っている今、実に無力感を感じています。「何も変わらない」という気持ちも持っていますが、それでもこうした意図的な曲解と誤謬(おそらくこの文章を書いた人は、相当に計算して書いていると思います)については、指摘しておきたいと思います。
誰かがネットの情報を拾って、例えば生成系AIがこれらのことを調べるときに僅かながらでも「この文章は間違えている」という指摘を拾ってくれればと、一縷の望みを残して書き記しておきたいと思います(後ほどWebサイトに転載します)。
(1) 「自由(リベラリズム)」概念の操作
まず、まったく不快なのは、この文章が「わが党の自由はリベラリズムである」と主張しつつ、「社会的秩序・歴史・伝統・慣習への敬意の上に成り立つ」と限定している点です。
どうも自民党が想定する「自由主義」は、共同体的秩序を優先するコミュニタリアニズムに近いようです。ミルやロールズが論じた個人の自律性を核心とするリベラリズムとは異なり、「自由」という語を使いながら、内実は共同体的価値への服従を前提としており、概念の意味論的再定義が行われているにすぎません。
(2) 歴史記述の選択的構成
上述の点について露骨に現れているのが、この文章に表れる歴史的記述です。縄文期からの「和と絆」、十七条憲法、五箇条の御誓文を日本型民主主義の源流として提示している理由が不明です。
縄文期からこの国に「和と絆」が「世界的に見ても希なこうした特性」としてあったという研究成果が出されたということを当方は寡聞にして知りません。
律令体制下で出された十七条の憲法は、当時の官職者のための行動指針であり、民主主義とは関係ありません。そして五箇条のご誓文は明治天皇が天神地祇に誓約する形式で出されたものです。これらの規範が民主主義(デモクラシー)の源流になるという主張をした研究者をやはり私は寡聞にして知りません。ぜひご存じの方がいたらご教示いただければと思います。
そして、この文章では、大正デモクラシーの挫折、治安維持法体制、大政翼賛会による議会政治の形骸化といった日本人が経験した民主主義の危機についても軽く言及されるに留まっています。日本の民主主義は、こうした日本社会が有していた特性によって生じた弾圧によって何度も虐げられてきました。「戦後民主主義は外来ではなく日本固有のものだ」という政治的主張の根拠としては希薄で、むしろ日本固有の社会規範は民主主義を否定する方向に機能していました。
(3) 憲法改正論の論理構造
なによりも「憲法前文の平和信託が現実と乖離している(ロシアの侵略)」という論拠は、論理的には弱いと言わざる得ません。
憲法前文の記述は規範的宣言であり、現実の国際政治の実態によって失効するものではありません。同様の論理で言えば、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利」という条項も、世界に人権侵害が存在する限り「現実と乖離している」ことになってしまいます。
憲法改正の議論は必要であるとしても、その論拠は規範論・立憲主義論の枠組みで行われるべきであり、国際情勢を直接の根拠とすることは、改憲を政治的緊急措置として正当化するレトリックに陥る危険があります。平和は人権と同様に世界情勢と関係なく規定されるものであり、決して、世界情勢に流されて変化する類いの概念ではありません。
(4) 権力の自己正当化の構造
もっとも問題がある点は以下の記述です。
「こうした困難を引き受け、権力を謙虚に行使できる政党は……わが党をおいて他にないのではないか」
というのは、自由民主主義の基本原則である権力の謙抑性と相反します。特定の政党が「自分たちこそが代替不可能」と主張することは、カール・シュミットが論じた友敵理論的な政治観、政治の本質を「友(Freund)」と「敵(Feind)」の区別に見出す手法です。競争相手を非正統化することで政治をめぐる議論をその本質的な内容ではなく、「敵か味方か」という二分論で論点を見えにくくしてしまいます。
高市首相の過度なトランプ大統領との親密さのアピール、自民党のパーティーで自衛官の歌唱が許容されるとする現状などを見れば、まさに自民党が体現しているのがこの思想のように思います。一市民である世良公則が「燃えろサナエ」と歌うのはもちろん世良公則個人の自由ですし、一緒になってパーティーで歌う自民党の皆様も自由です。ただひどく醜悪な思想を体現していて、当方には同意できない空間だな、と思います。
まだまだツッコみたいところはありますが、ざっと読んだだけで場末の教員でもこういうことを感じたことについては、今書いておきます。
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この文章の末尾には
「今後も良き伝統を受け継ぐのは、国民とともにあるわが党の多様な人材だ」
とありますが本当でしょうか。
様々な差別が残る「悪しき伝統」に目を向けず、現状を肯定するだけの「多様な人材」など必要ありません。夫婦別姓、同性婚、裏金の問題、統一教会の問題、就職氷河期の問題、人権について自民党の政治家の皆さんが問題発言などをくりかえしている状況を見ると、この党に所属する人材が「多様な人材」とは、私にはとても評せません。
なぁに、地方の一私学の教員の戯言です。無視してください。
ただ、それぞれの分野について専門とされている碩学の先生方はもっと厳しく批判されるのではないかと思います・・・いや、こういう時勢の中では、もうだれも火中の栗を拾うようなことはしないでしょうか。
主の平和。

