憲法ネット103編(2025)『混迷する憲法政治を超えて』有心堂

尊敬する清末愛砂先生から、このほど刊行されたご著書をご恵投いただきました。心より御礼申し上げます。今この書籍をご紹介できる媒体がないため、非力ではありますがFacebookと自分のWebサイトで紹介させてください。
まず本書全体についていうと、本書は日本国憲法をめぐる多角的な論考が収められた、非常に読み応えのある一冊です。他の先生方の論考についても深く考えさせることが多く、非常に多くの示唆をいただきました。
その中でも清末先生が執筆された「平和的生存権と国際協調主義に基づく国際連帯活動―ガザ攻撃と日本」と題された一章は、日本国憲法を扱う本書のなかで、異彩を放っているように見えます。
清末先生の論文では、2023年10月7日のハマスによる攻撃を、イスラエルによる長年の占領と封鎖に対する「越境反撃」と位置づけています 。その背景には、1948年のイスラエル建国に伴うパレスチナ人の追放(民族浄化)、1967年以降の苛酷な占領、そして2007年から続くガザの封鎖があり、これは人種隔離政策「アパルトヘイト」に相当すると指摘しています 。
「遠く離れたガザの問題を日本国憲法の問題として取り上げること」に違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれません 。
しかし、本文を読み進めると、その考えはすぐに改めさせられます。清末先生の論考は、遠い地で起きている悲劇を、私たちの憲法が前文で掲げる「平和のうちに生存する権利」(平和的生存権)という普遍的な理念へと、鮮やかに結びつけています 。これは他国の問題ではなく、まさしく日本国憲法の根幹に触れる、私たち自身の問題なのだと、静かに、しかし力強く語りかける論文です。
日本国憲法の平和主義を単に戦争を「しない」という消極的なものに留めず、世界の「恐怖と欠乏」の克服を目指す「する」平和主義として捉え 、ガザの人々が置かれた状況を、憲法の言葉を通して私たち自身の課題として浮かび上がらせます。これは、単に日本が戦争をしないというだけでなく、世界から「恐怖と欠乏」をなくすために積極的に行動すること(「する平和主義」)を求める理念です 。
この論文は、憲法前文に記された言葉が、いかに切実な生命力を持っているかを教えてくれます。ぜひ多くの方に手に取っていただきたい、思索の旅へと誘う一編です。
ダメ押しですが、当方の講演会(明日苫小牧で行います)ではなんども強調していることを改めて申し上げます。
日本国憲法第97条(自民党案では全て削除されている)では、この憲法に記されている基本的人権が、「人類の自由獲得の努力の成果であり、過去の試練に耐え、現在および将来の国民に対して侵すことのできない永久の権利として信託」されたものであると記載されています。日本国憲法を護るということは、日本という一国の統治のみを目的とするのではなく、人類の努力の成果である諸権利を守ることにつながります。残念ながら、日本国憲法がこういう視点を含んでいることは多くの国民に知られていないのが実情です。本当に残念なことですが。
まだ直接拝聴する機会を得ていないのですが、清末先生はバイオリンを弾かれる音楽家でもいらっしゃいます。五線譜に記された作曲者の声を的確に、そして時には作曲者自身が気づかなかった響きまで再現するその力は、遠いガザの人々の声なき声を拾い上げ、私たちの憲法に宿る理念を深く掘り起こす能力と、どこか通底しているように感じられてなりません。いつかデュエットしましょう!(^^)!
主の平和。


