痛みを忘れる

少し時間があり、また思うところがいろいろあったので神通川の盛り土のエリアを案内されてじっくりと歩く。現在は様々なレジャー施設が並んでいるエリアで、盛り土と土の入れ替え(上の土を下の土と入れ替えた)で対応しただけなので、この土地の下にはまだカドミウムが眠っているのだと聞く。

この歳になっても、研究者として生きるには心のバランスの取り方は難しい。苦しんでいる(いた)方のことを取り上げ続けるほうもやはり相当に苦しい。友人の先生方が紛争の最前線に顔をだしているのを見ると頭が下がる。被害者の苦しみに直面する中で、ご自身も辛い思いもたくさんしているだろうに。

タフさと同時に繊細さがないと研究家業は務まらないなぁ、と思う。そして残念ながら僕にはいずれも備わっていなかったと思う。

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最近サンフォルテで行ったジェンダー関係の勉強会で6/10付の『虎に翼』の話をした。この放送回では、土居志央梨が演じる登場人物のよねさんが、戦後の混乱期に発布された憲法14条を壁に書き殴っていた。

よねさんは「ほしかったものがやっと手に入った」と、憲法14条の素晴らしさを強調した後に「これは自分たちの手で手に入れたかったものだ。戦争なんかのおかげじゃなく」と言葉を続けたのが印象的だった。そのあとこうした新憲法があっても現状が変わっていないことを吐露していた。

あのシーンを「14条があまりにも素晴らしく壁に書いておいた」と解した方も多かったが、壁に書かれた憲法14条を毎日みることは、よねさんにとって臥薪嘗胆であり、同時に現在の日本社会への警鐘なのだ(という演出なのだ)と思えた。

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憲法14条を学生に説明するとき、僕は「「人を差別しない」というこんなアタリマエのルールを守るように国に命令しなくてはならないのが、私たちの住む「社会」の残酷さなのだ」と説明する。憲法14条が存在する社会のほうがおかしい。

だが、このアタリマエのルールを多くの人々が守らないことで、私たちの生活は成り立っている。その意味において、第14条が必要悪として存在しているように思う。

ジェンダーだけではない。僕のような任期付きの大学教員を含め様々な差別を前提とした社会がある。辟易する。

生きていく能力は、様々なことを忘れる能力と共に発揮される。苦しんでいる人の存在を知りながらも、そしてそれは自身の苦しみであっても忘れていくことでしか先に進めない。

この時代では、「怒り」を表明した瞬間に「そんなに怒らなくても」と、クールでいることの方が美化され、発言することそのものが封じ込められてしまう。心に刺さったトゲの痛みに自ら麻痺し、「怒り」を忘れてしまうことと引き換えに平穏な日常を手に入れる。

「政治的無関心」の正体は、そうした日常生活を生きやすくするための自動制御であり、苦しみまでもが自動で制御されてしまう世の中において、どうやれば怒りを忘れずにいられるのだろうかと思った。よねさんは、壁に14条を書き殴ることでそれを忘れずにいようとしている。では僕らは?

誰かが痛みを忘れないように壁に書き続けなくてはならないのだとしたら、それこそが僕の分野の研究者なのだろうと思う。

さもなくば、時折、忘れた頃に麻痺したトゲの感覚が戻ってきて、やはり不条理な世界に怒りを感じる。感じるが、そのあとまた麻痺して怒りがなかったように振る舞うことの繰り返しだ。

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神通川の再開発エリアを歩き、土地の方の説明を聞く。様々な施設が建ち並び、この土地に生きていた方々の形跡はない。

怒りも苦しみも悲しみもこの土中に眠っている。それを掘り起こすのが僕で良いのかと自問する。

Kyrie eleison
主よ哀れみたまえ。

追記
最近『虎に翼』の挿入歌「You are so amazing」が公開された。とても良い。