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タイでの国際学会を期中泊2日、現地泊2日、そしてチェンマイ−バンコクと移動するというハードスケジュールでタイから帰国し、「いつものとおり」口唇ヘルペスを発症。本当に困ったもので、僕は一生この病気と付き合っていかなくてはならない。トロンボーン吹きとしては致命的なのだが、唇が痛いだけでなく、体全体が重くトロンボーンのリップスラーはおろか、スライディングもいまいちな1週間。

さらに日曜日は宮崎大学で集中講義。オケの練習後に移動するという選択をしたため、翌朝の始発で富山から羽田を経由して宮崎入り。朝5時起床で、飛行機での移動時間は待ち時間も合わせてたっぷり5時間。宮崎到着後は、宮崎空港から宮崎大学に移動するまでに1時間30分。

この時点ですでにへとへとなのだが、宮崎大学のKさんや学生のみなさんのパワーに呼応する形でこちらもフルパワーで授業を行う。鉄板ネタではあるのだが、授業は大変に盛り上がる。自分が評価されている本当にありがたいことで、こうして富山に行っても宮崎大学で開講できることには感謝しかない。

その後は友人H君の運転する車で都城市に移動。都城はICが整備中で、かつての道の駅も含め大きく変わっていた。懐かしくもあり、また知らない土地のようでもあり。そのあと長年関わっていた曽於市のメセナ吹奏楽団にて、次世代のトロンボーン吹きの学生と交流。そして、その後はコロナ禍の引っ越しの際にきちんと挨拶することのできなかったみなさんと交流。本当に楽しく豊かな時間を持つことができた。今回は特に故人を偲ぶ良い機会になった。亡くなった方について話すことができるのは生者の義務であるような気がする。大きな催しを嫌がる方だったので、我々が楽しく集まっている風景をきっと空からゆっくり眺めていてくれたと思う。

翌日は午後からの富山大学での授業のために始発(5:30)には都城を発つ。7:40初の飛行機で宮崎を発ち、おおよそ20時間(睡眠時間含む)の宮崎滞在は終了。11:40には富山空港に到着し、それから富山大学にて2本の講義。オフィスアワーに学生の相談も入っていたため、休みなしで一日が終了。

昔仕事がなかったころのことや、都城で誰一人知り合いがいない中で生活を始めた孤独な日々を思い出す。遠く離れても仕事が続いていること、待ってくれる友人がいることは本当にありがたいと思う。全てが綱渡りのスケジュールで、よくもまぁこういうスケジュールで行動したものだと思うし、もうそんなハードスケジュールに耐えられる身体ではないのにとも思う。でも声をかけてくださる方がいることはありがたいことだと思う。

あまり長くない命であるし、もう少しだけ、無理ができるうちに無理をしておこうと思う。

ちなみに、7月末、8月中旬にも同じスケジュールで宮崎大学での講義が予定されている。また3つ大きな仕事が並行的に進み出した。

今度こそ焼酎や地鶏の刺身を堪能できることを、そしてまた懐かしい顔に会えることを励みに日々の生活を送ろう。

主の平和。