私が音楽に触れようと思った衝撃のミュージシャン(まちおん連載第2回)

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「山下洋輔」 音楽と僕との出会いは、ずいぶん早かったと思う。そして最悪な出会い方だった。 4歳の時に、近くのヤマハ音楽教室に強制的に通わされ「ちょうちょ」や「ちゅーりっぷ」を「弾かされ」た。

特にピアノに興味を持って通っていたわけではなく、姉が通っていたからついでに、と僕も通わされたのだった。面白くない曲をリズム通りに鍵盤を叩くことに面白さが全く感じられなかったのだった。 これには、時代的な背景もあって、団塊Jr.に当たる僕らの世代は、行動経済成長期を経て豊かになった地方都市の親が、ともかく「音楽」を子どもに身につけさせることが自らの経済的成功力をを示すための一つのステータスであったというのも関係しているだろう。実際そのころ一緒に音楽を学んだ町の音楽教室の子ども達の多くは、自宅にオルガンやピアノを購入したりしたが、残念ながらその後ずっと弾き続けているというメンバーはもういない。

もちろん鍵盤のキーをオタマジャクシを参考にパラパラ弾けるというのもリテラシーの一つだし、学んだ価値はあるかと思う。そして今の仕事でも少なからず役立っているとも思う。でも、少なくとも当時の僕には音符の通りに鍵盤を叩くその行為自体が特に楽しいわけでもなく、なんとなくページをめくっていておもしろみを感じられなかった。

幸か不幸か、小学校3年まで僕はピアノを続けたのだが、結局それでおしまいに。当時我が家で無理して購入したピアノはそのまま使われずに今日に至っている。そういえば、親による子どもへの「こうなってほしい」欲望のあらわれには、当時はピアノと平凡社の百科事典(商法)という形で現れていたように思う。行動経済成長期に親たちが、自らのルサンチマンを払拭するかのように、「親そのものはピアノを弾かない/百科事典を使わない」という状況で、これらのものが中産階級の子ども達に買い与えられたというのが地方のよくある風景だった。親にクラシック音楽を楽しむ習慣がないのに子どもがピアノを弾くわけはないし、親が読書する習慣がないのに、百科事典を買い与えぐらいで子どもが利口になるわけでもない。「せっかく高いピアノ(学習辞典)を買ってやったのに練習しない(勉強)」というのが我が家の親の口癖で、同じような光景はわりとどこでも見られたように思う。新聞の折り込みに入ってくる「クラシック名曲100選」でしか音楽を判断できない世界や、音楽の授業で聞くピアノ曲の名曲のトルコ行進曲やエリーゼの為にとかとても好きになれなかった。どう、そんな経験ある団塊Jr.の方っていません?

ピアノを進める先にあるものが「これはないな」と思ったのがピアノにのめり込むことができなかった最大の理由だったと思う。当時の音楽教育を経験した層の中には(特に「ピアノ」)について、同じようなルサンチマンを抱いている層は少なからず多いのではないかと思う。

ところがそんな「おもしろくない」ピアノに接していた僕が、初めて「おもしろい」ピアノを弾くおじさんにであった。小学校6年生の時にたまたまNHK教育で演奏していた山下洋輔だ。曲目はGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュイン)のRhapsody in Blue(ラプソディ・イン・ブルー)。オーケストラをバッグにどうどうとピアノ一本で向かい合い、はちゃめちゃに歌いまくったピアノの演奏に大変驚いた。これはコンチェルトというよりもピアノとオーケストラのタイマンの喧嘩で、キックとパンチの応酬のように見えた。

なんだ、単にメトロノームに合わせて、弾かなくてももいいんだし、なんなら肘でキーを叩いてもいいんだし、ヘッドバンキング(<当時は当然そういう用語も知らなかったけれど)をかましながら弾けば良いんだ。「ピアノってこんなに楽しいんじゃないの!」と目からウロコ落ちまくりだった。はじめからこの曲を知っていて、山下洋輔を目標としていたら、もう少しだけピアノが続けられたのかもしれないと思う。

その後、他の方の演奏も見て回ったけれど、Marcus Roberts Trio(マーカス・ロバーツ・トリオ)と小澤征爾、そしてベルリンフィルの演奏も素晴らしい。

「George Gershwin - Rhapsody In Blue [Seiji Ozawa]」

あ、話しがそれちゃいました。 2021年の現在、今ももちろん山下洋輔先生の大ファンのままである。 今は少し古い演奏になるけれど、ピアノ一台でラプソディ・イン・ブルーに挑戦した、 山下洋輔「ラプソディ・イン・ブルー」1992年版がお気に入りで、何か困難な事に立ち向かう時には、必ず聴いてから仕事を始めるようにしている。幸か不幸か、僕は2005年に右手が動かなくなって、もはやピアノは演奏できないんだけれど、仮に右手が動くようになるなら、どうしてもラプソディ・イン・ブルーを弾きたい。でも右手が治らないと解った今、トロンボーンでもなんでも別の楽器でもいいからあんな自由に演奏をしたいと思う。

クラシックやジャズというジャンルを越えて素晴らしい演奏はあるし、尊敬できる音楽家がいることは幸せだと思う。