ハスの葉の教訓
「ある池のハスの葉は、毎日二倍の勢いで増え続ける。この勢いを放置すると30日で池を埋め尽くし、水中生物を窒息死させてしまう。多くの人は、池の半分を覆ったところで、この異変に気づいた。さて、何日目のことか?」(http://www.hayakawa-planning.com/tsubo-31.html)
※引用元は早川浩士さんという経営プランナーさんのHP
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暑いタイでの生活が続く中、体調を崩してしまい2日間ほど入院。けっこう酷い症状だったにも関わらずあっさりと退院。今もまだ歩行の度に胃がきしむのが困るのだが、何かしらの見えない力が僕にこうした仕事をさせるのだろうと思い立ち、再び作業に戻る。大学院生の頃と異なり、不惑を超えて体力の衰えを実感せざるえなくなったことは一つの教訓にしたい。まだもう少しだけ長生きして、世の中に貢献したいと思う。
さて、日々の生活では、いろいろと嫌な体験もするが、基本この国での生活は僕に合っているようで、タイでくり返される毎日は少なくとも2ヶ月目の現段階ではとても楽しい。また自分と向かい合う時間も多くなった。特に自分が生業にしている「教育」について考えることも多くなった。
というよりも、地方国立大学の人文社会科学縮小の通達、大学での国旗掲揚・君が代斉唱、そして高専とも決して無縁ではない新しい職業訓練高等教育機関の創設など、文科省からの指示が多く出され、タイにいながら自分も当事者となる話題が多く発生したために、どうしてもこれらの問題について考えざるえなくなった。だがその一方で、こうした話題も現段階で直接自分に返ってくる問題群でないのも事実で、「別に考えなくても生きていくことができる」話題であったりする。おそらく急にクビになることはないだろうし、カットされ続けている大学の運営費にしても「自分が研究をすることを諦めて、教育だけに注力を注げば」無視できる話題であったりもする。だが、こういう状態は「自分にはこれらの問題が直接的な影響を与えないだろう」という極めて楽観的な主張の上に立っており、自分の首が真綿でゆっくりと絞められているにも関わらず、鈍感でそれに気付かずにいられる状況というのは相当マズイのだろうと思う。そして今、事態は様々なことが終局的な面に突入しているようにも思われる。
冒頭の「ハスの葉の教訓」を知ったのは、学部生の頃に読んだ石ノ森章太郎『マンガ世界経済入門』での環境問題を語る一コマであったように思う。この答えは29日。解説の詳細はリンク先のページに譲ることとして、「まだまだ半分もさまざまな権利がある」とゆめゆめ思っていてはいけない。高等教育機関に与えられた学問の自由が全て奪い取られるまでに残された時間はごくわずかでしかない。「役に立たない人文社会科学の縮小」「たかだか国旗掲揚と国歌斉唱ぐらい」「役に他立たない学部ではなく世間に必要とされる優秀な技術者の輩出」ではなく、現在高等教育が置かれている状況は、この29日目の末期的な状態に該当するように思えてならない。