宮崎日日政府広報誌

非常に立腹した社説があった。

昨日あまりの腹立たしさにFacebookで書いたのだが、あらためて言及したいと思ったのでブログでも再度とりあげておきたい。

問題のある記事が多い宮崎日日新聞の2013年02月10日付け社説だ。
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難病対策見直し
支援が必要な患者は救済を
厚生労働省の難病対策委員会は、医療費助成の対象疾患を現在の56から大幅に拡大することを柱とする提言をまとめた。従来の制度で枠外に置かれてきた多くの患者を救済し、不公平感の解消につながることが期待される。
一方、提言は自己負担のなかった重症患者も含め、所得に応じて一定の負担を求めることも打ち出した。厳しい財政状況の中で公平性を追求すれば、ある程度「広く薄く」になるのはやむを得ない。
厚労省は2013年度以降の法制化に向け、対象疾患の選定など詰めの作業に入る。国民全体で患者を支えるためには、議論の細部まで透明性を確保し、広く理解を得ることが重要だ。
■対象疾患は300超■
難病対策は1971年に始まり、受給者は2011年度末で約78万人。12年度の総事業費は1278億円まで膨らんでいる。本県は約8千人に11億7800万円が支給されている。
本来、助成費用は国と都道府県の折半が原則だが、予算不足を理由に国の負担割合は4分の1程度まで低下、不足分を肩代わりする地方の反発が強まっていた。本県の場合も11億7800万円のうち、国の負担は2億6400万円にとどまる。法制化を目指す背景には、財源を確保し制度の安定化を図りたい厚労省の考えがある。
提言には具体的な対象疾患名や疾患数は示されていないものの、委員会は要件を(1)患者数が人口の0・1%程度(約12万人)以下(2)病態が未解明(3)効果的な治療法が未確立(4)長期療養が必要(5)診断基準や客観的指標が確立│とする方向で一致した。
これに当てはめると、300超の疾患が対象となる。高額の医療費に苦しみながら長期療養を強いられている患者が、より多く救われることを歓迎したい。
■自己負担を義務付け■
助成は症状の程度が一定以上の患者が対象。負担額がゼロとなる重症患者の特例は見直され、すべての患者が所得などに応じて一定の自己負担を義務付けられる。大幅な予算の増額が見込めないことや、高齢者や障害者などに対する他制度の給付との均衡を勘案すれば致し方ない結論だろう。
だが、救われない患者はいる。例えば筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)は原因不明で、激しい疲労感などで日常生活が困難になる病気だが、患者数が30万人と多いため対象から外れてしまう。
疾患名での線引きでは置き去りになる患者が出てくる。患者が少なく症例を集めにくい疾患の研究促進が助成の本来の目的だが、実際は福祉的側面が強い。こうした患者への対処は今後の課題だ。
法制化に向け、対象疾患の選定や患者の認定基準、給付水準などの各論が同委員会で今後検討されるが、支援が必要な患者が確実に救われ、利用しやすい制度が望まれる。医療の進歩に合わせ、制度を柔軟に見直すことも大切だ。

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難病指定疾患の場合、たとえ10%負担でも相当な額になる。それをいとも簡単に

>厳しい財政状況の中で公平性を追求すれば、ある程度「広く薄く」になるのはやむを得ない。」

と肯定するこの記者の思考回路を疑う。難病指定がどういう経緯で生まれたかを理解せずに、財政の都合だけで調整しようとする現政権の尻馬にのるところがどうしようもない。

この宮崎日日新聞社の記者が想定する浅はかな「公平性の追及」では、難病指定疾患への扶助は「広く薄く」になるのはやむを得ないそうだ。世の中にたくさんある「公平性」を議論することなく、現政権の提示する「公平性」を検証することもなく、政府が提示した「公平性」に無批判に乗っかることが、この新聞記者にとっての「公平性」なのだろう。

>助成は症状の程度が一定以上の患者が対象。負担額がゼロとなる重症患者の特例は見直され、すべての患者が所得などに応じて一定の自己負担を義務付けられる。大幅な予算の増額が見込めないことや、高齢者や障害者などに対する他制度の給付との均衡を勘案すれば致し方ない結論だろう。

自己負担の義務化が「ある程度「広く薄く」になるのはやむを得ない」、「致し方ない結論」であり、その根拠がただ一つ「財政難だから」というのであれば、「新聞社」を名乗る必要はなく、「政府広報誌」と名乗ればよろしい。

また難病指定からはずされた病気がまだまだあることについて

>例えば筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)は原因不明で、激しい疲労感などで日常生活が困難になる病気だが、患者数が30万人と多いため対象から外れてしまう。

と、紹介はするが、それを

>こうした患者への対処は今後の課題だ。

とするところ

>制度を柔軟に見直すことも必要だ。

とするところは、東大話法にも通ずる、いやらしさを感じる。この記事を書いた人はどういう立場から、この問題を紹介し、何を提示したかったのだろう。

「客観的な意見」は実はもっとも無責任で、その実「客観的に見える」この意見が、単なる政府広報誌と変わらないところが二重にいやらしい。