憲法記念日を前にして
憲法記念日を前に複数の箇所で憲法について話す。
自分のディシプリンについてかねがね「法社会学」だと公言していたこともあり、社会学だけでなく法学および憲法については一般教養程度の学生を指導できるように学んできたし、研鑽を積んできたつもりであった。
それが就職までは社会学関連の仕事しか来なかったのに、就職後はまったく法学関係のお仕事しか来ないため、諸々の事情で憲法について話す機会がやたらと増えるようになった。
そして場数が増えるとそれなりに話ができるようになるもので、たとえば1時間で市民向けに話をする場合、および「法学」のコマの中で学生に憲法を教える僕なりの王道パターンとしては
-
99条 憲法の尊重擁護義務>「国民は憲法を守る必要はないということ」
↓
ヨーロッパにおける憲法史のダイジェスト「憲法は国民と国の契約書」
↓
日本国憲法前文 「日本国憲法の特異性」
cf:日本国憲法の構成
↓
98条 「憲法の形式的最高法規性」
↓
97条 「憲法の実質的最高法規性」
といった順番で教えると憲法の意義について短い時間で的確に説明できるようになった(と思う)。
むろん、15コマかけて学ぶべき憲法を1時間で教えるというのは無理がある。
だが、それでもそういう要求はあり、そうした「無謀な」(と法学者が考える)ことの需要もある。
かつてのブッシュ−小泉の「ワンフレーズポリティクス」というような単純な言葉で人心をあおるのではなく、必要な言葉を欠かすことなく1時間でエッセンスだけを語るようなそういう憲法の話ができる人間は必要なのだと思う。
不思議なことにこの20年目にして初めて憲法との向かい合い方もわかってきた。堅苦しいヤツだと思っていたが、20年つきあってみてはじめて憲法がいいやつに見えたような気がする。
学部のころからアッカマンの議論を追っかけていた僕は、どこかで憲法との距離をずっとうまくとろうとしていたのだと今更ながら思う。
親しい友人と一献傾けることができる、そんな嬉しい気分の春の宵なのであった。