というわけで、クリスマス・イブです

午前中は、ひたすら自宅の掃除をして過ごし、昼過ぎから得意のポテトコロッケと緑黄色野菜のサラダを作る。クリスマス・イブのミサの後は、たいていどの教会でも信者が持ち寄りでささやかなパーティーを行う。去年は満足なキッチンがなかったので、持ち寄る側にまわれなかったこともあり、今回はリベンジを兼ねてコロッケをざっと作って持って行くことに。

コロッケは労力がやたらいる総菜で時間が余ったときにしか作れないのと落花生油を使うため、作るときは一気に大量に揚げる。ざっと粗めにつぶしたジャガイモで作ったほくほくとした感じが結構好評で知人の分も作って配る。今日はざっと40個ほどを作っただろうか。

ほくほくとしたコロッケの向こう側にはなんだか「幸せ」もありそうで、作るだけでこんなに幸せになれるのも不思議だ。

「あまり料理が作れると逆に彼女ができないわよ」と教会関係者からはだめ出しをくらう・・・。

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メインイベントのミサでは第二朗読を担当する。今年の最後に大役をいただいてミサを終え、新しい教会での充実した信仰生活の一年を終えることができそうだ。

考えてみれば、今年の3月に今のポストに就いたその最終面接の時にはじめてこの教会に足を運んだのだった。多くのものを失ってしまった僕が、改めてスタートを切ることができたのは、この教会に足を運んでからで、まだまだ時折胸が痛いこともあるけれど、関東から離れて傷も少しづつ癒えてきて、自分で自分のことを笑えるようにもなってきた。

「人間はその人が耐えられる苦しみしか与えられない」
というのは、タイのおっかさんが去年のクリスマスに僕に贈ってくれた言葉。幸か不幸か僕には苦しみに耐えられるだけの力が与えられているようで、喜びも多い一年だったけれど、けっこうごっついこの1年の話題も乗り越えることができたと思う。

誰かが体験するはずだった多くの苦しみが、耐えることができる僕にやって来たのだとしたら、それはとても光栄なことなのかもしれないと思う。おいらが泣くことで誰かが幸せでいられることができるのなら、それはそれで良いことなのかもしれない。

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教会の聖堂の横にある信徒会館では、パーティーが続いている。陽気な声が届く中で、そっと席をはずして、誰もいない聖堂に入って祈る。

ひんやりとした空気の中で、じっと耳をすます。かすかにろうそくが燃える音がする。

一年に一度、クリスマスは自分と向かい合う大切な時間だ。