土曜日

土曜日のスケジュールはこのところずっと安定している。
朝6時に起きて軽くランニング。その後ゆっくりと食事を食べ、それからカトリック教会へ向かう。それから研究室に向かい、吹奏楽部の部室に顔を出し、1時間ほど音を出した後で研究室でひたすら作業という毎日。
すがすがしい土曜日の朝、青空の下を黄色の車で教会に向かい、それから学校に向かう。
ちなみに今日は初めて聖書朗読を担当する。洗礼をうけてから5年以上経つけれど初めての経験。第一朗読で「申命記」の一節。初めての大役に緊張しながら祭壇の前に立つ。
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川崎に住んでいた頃、なにかというと空を見ていた。
空が見えないアパートだったこともあって、近くの公園にポットにつめたコーヒーを持って、のんびりと時間を過ごしていた。
空の青だけが、とても優しかった。それだけが救いで、何もせずにずっと空を見ていた。
今思うと、ただただ時間が過ぎていくことを祈っていて、それは緩やかにではあったけれど、のんびりと死を意識していたのかもしれないと思う。
「世界は終わる、メソメソと。ドカンとではなく」
以前読んだ中島らものエッセイに引用されていたアンリ・ミショーの言葉。
世界が終わるのなら、緩やかにそこから空を眺めながらゆっくりと消えてしまいたい、とぼんやりと公園のベンチで考えていた。
すがすがしい土曜日の朝、青空の下を黄色の車で教会に向かい、それから学校に向かう。
不思議なものだなぁと、ただただ思う。
さて、そんなこんなの土曜日なのだが、本日は顧問をしている(参加している)学校の吹奏楽部のホール練習で、朝からホールにつきっきり。
小さいながらもしっかりとした作りのホールで、とてもよく響く。学生が演奏するのを聞きながら、「ああ、俺もここで演奏したいなぁ」と思ってしまう。
加えてホールで聞く学生の演奏は、いつもの狭い練習場所と異なり、とてもよく響く。「あれ、こんなに巧かったんだ」とちょっとだまされてしまう(笑)。というか、これぐらいふけるのだったらコンクールでも、上手に審査員がだませるかも、とか不遜なことを思ったり。
学生たちもそれぞれの課題を見つける有意義なホール練習になったと思う。
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このホール練習が終了後、続けて夕方からは留学生を連れて、同じ市内のとある家庭におじゃまする。
留学生の学生さんたちをとてもかわいがってくれる方で、学生もまた「おかあさん」「おとうさん」といって慕っている。
とても暖かい風景で、そこに一緒にいるだけでこちらもすがすがしい気持ちになる。冗談を言い、食事を訳あって食べ、豊かな時間をともに過ごす。
「わたしたち」は、こうやってつながっていくのだろう。
その道中、留学生たちが帰省に向けて彼女へのプレゼントが買いたいという。生活費から少しづつためたお金で彼らが購入したのは、かわいらしいブレスレットで、これもまたこちらも嬉しく、暖かくなる話題だった。
このごろ周囲の人々から学ぶことが多い。感謝せねば。