『パッチギ』と『東京タワー』

土曜恒例のリハビリ。火曜日の大学院からずっと体調が崩れっぱなし。疲れているときは左足が痛む。その左足を改善するためにリハビリに向かうのだが、なかなかおっくうだ。病気はともかく、「動かないという状態」だけでも少しは改善できればいいんだがなぁ。
そんなこんなの状態で、リハビリにも集中できない。おまけに今日が入試日だった生徒さんのことを思い出し、それも加わってなかなか集中できない。予備校業界に長く籍をおいていると、入試の前は大変胃が痛い。代わりに受験できるものなら、と切に思う。

昨日に引き続き寒い川崎の街をコートの襟を立てて移動する。体がすっかり冷えてしまい、スターバックスでラテを飲む。
一人で過ごす、日本の冬の風景。毎日のように過ぎていく冬の日常。

さて、リハビリの土曜日の定例となった映画館通い。今日は二本連続で、井筒監督の最新作『パッチギ』(このWebの煽り文句は、接続するたびに変わりますので、何度かリロードしてみてください)と江國香織『東京タワー』

まずは『パッチギ』から視聴。トレーラーで、おすぎが「日本映画を見て、嬉しく思ったのは何10年ぶりです。」とコメントを寄せ、宮台先生も「この10年間に観た日本映画の中でベストワンだ!」とコメントを寄せている。みうらじゅんなんか、もっともっと感動的なコメントを寄せており(これは公式サイトから読めますので、ぜひご自分で目を通してみてください)それらのコメントを読みながら、「またまたー、そんなこと書いていると次の営業がまわってこないんじゃないか」とか余計な心配をしてしまいながらの鑑賞。
だが観た後の感想は確かにそのとおりで、『僕の彼女・・・』(<くどい?)の煽り文句と異なり、各人のコメントにいつわりなく断然おもしろい。10年も「おもしろい日本映画がなかった」ということを検証するのに十分な蓄積が僕にはないのだが、去年の秋以降の映画の中では抜群におもしろいと思う。何かとメディアでの露出の多い井筒監督の毒舌もこういう映画が撮れる自信に基づいた発言なのだ。
要所要所には西の人間ならずとも思わずほくそえんでしまうような「懐かしい」ネタがちりばめられており、ストーリーの進行そのものはテンポ良く明るい調子で進んでいく。
井筒監督が「怖い」のは、そうしたテンポ良いムービーの流れの中に、社会性が高く、かつ重いテーマをしっかり語らせている点にある。GS、フォークソング、全学連、ヒッピー、喧嘩etcといった当時の若者をとりまく高揚する生活と隣り合わせで存在する「哀しみ」を描くことに成功しているのだ。この映画の登場人物達はみな「一生懸命生きている」のだ。『戦場のピアニスト』が一貫して暗いトーンで書かれているのと比較してみるとおもしろいと思う。哀しみに毎日くれている人だって笑うこともある。笑うことでしか哀しみを乗り越えられないこともある。それらの逆だってある。そういった点では井筒作品はきわめて現実的だ。

ちなみによくいく映画館では、『パッチギ』の上映回数よりも未だにあのクソつまんない『ハウル』のほうが上映回数が多い。『パッチギ』は時間を無理矢理作ってでも見に行くべき。

日本映画を観ることになったきっかけは、高校時代「から」の友人H君の影響によるものだった。彼の映画批評を読んだときの衝撃は今でも忘れられない。同年代でこれだけの文章を書ける人間が周囲にいたことに気づかず、高校時代を過ごしていたのだ。未だ彼以上の批評を読んだことがない。彼ならこの映画をどう評価するだろう。

『パッチギ』を観て、次の『東京タワー』を観るまでの間に時間があく。その間、中央のイベント広場でEmpty Black Boxというバンドのミニライブがあり、最後まで聴き入ってしまう。タワーレコードのインディーズ部門で昨年一番の売り上げだったというふれこみがイベント告知板に書いてあり、さしたる興味もなかった(<当然、JPOPに疎い僕は事前にまったく情報なし)のだが、たまたま楽器の搬入を観てしまい気になってしまったのだった。

というのも、楽器搬入の際にトロンボーンケースを2つ観たからで、今どんなバンドがホーンセクションでトロンボーンを2本導入するというのだ?米米CLUBとかTOPSだって一本だったぞ?と気になってしょうがなくなってしまったのだった。しかも、立て看板を観るとまるで往年のBlues Brothers Bandのような黒ずくめの衣装・・・。トロンボーン吹き(<[だった])で、おまけにBlues Brothers好きの自分にはツボにはまりまくり。いやが上にも高まる期待・・・。
で、はじまったライブなのだが、A.Sax、T.SaxとT.Trb(YAMAHAの逆輸入JAZZモデル?)とB.Trb(ホルトンのインライン2ローター)、Guitar、Bass、Keyboad、Drumsそしてブルースハープをもったリードボーカル。やっぱりトロンボーン2本なのだ!!ブラスの見せ場たっぷりに寒空の中熱いライブが続く。
こういったブラスセクションのバンドでは必ずと言っていいほどトランペットがいるのだが、なぜにTrbが2本!!なんて思いつつも、トロンボーンは成人男性の声に一番近い音域の楽器と言われており、ボーカルの声を邪魔しない。理にかなっているのだ。ボーカルとホーンセクションのソロのスイッチが、なめらかにつながっていて耳に心地よい。いわば2本のトロンボーンは2人のボーカルなのだ。
MCも上手く、CDも売っていたので、ついつい購入してしまう。うわーひさしぶりにはまりそうなバンドだ。
ちなみに今日はマイナスターズのCD「ネガティブハート」(<このページでは「心配性」「ふたり」が無料で聴けます)も買う。これもめちゃくちゃいいです。・・・え、はまるバンドのジャンルが違いすぎるって?まぁ、それはそれで・・・。

続けて『東京タワー』監督が悪いのか、脚本家が悪いのか、この映画を観ただけだと「セレブの人妻が年下の男と不倫をしました」というだけのつまんない映画になっている。

まぁ、敏腕CMプランナーの夫を持ち、250平米のマンションに住むつ「青山でセレクトショップを経営する女性」なんて(まるでバブル期全盛のちょいと無茶のありすぎる)設定をしていることなんか些細なことにすぎない。20の年齢差があるというのもまぁOKにしましょう。
にしてもだ、もう少し細かい心理描写があってよかったのではないか。なぜ恋に落ち、なぜ家庭生活を捨てられなかったのかもう少し描くべきだろう。せいぜい主人公の男の母親が、人妻を責めるシーンで、人妻が夫を捨てられない本質を指摘するぐらいで、あとはどうでもいい自己弁護と欺瞞のピロートークともったいぶった(それでいて空虚な)言葉の羅列でしか語られない。たとえば岡田准一が演ずる青年は、ビルの屋上から意味深な電話を人妻にかけて、前方前のめりで画面がフェードアウトする。・・・あの描き方で、「自殺しておらず、パリに留学した」なんてならんだろう。なぜあのシーンで自殺しないんだ。「Pray」にも書いたが「自殺めいた行動」というのはそんなに賞賛すべき行動なのか。

「おまえが行間を読めないからだ」という批判はまぁ受けようと思うが、「どうしてそういうふうに行間を読めるのだ」という根拠も少なすぎる。まるで小泉・ブッシュの「ワンフレーズポリティクス」と同じで、「感動した!」だの短い言葉を発して本質を何も語らないのと同じだ。あの映画を観て「感動した」人は「感動」の内容が言語化できるのだろうか。おしゃれな俳優とおしゃれな音楽とおしゃれなスポットにちりばめられた不倫の物語の「おしゃれ」以上の憧れ、共感があったのだろうか。

江國さんの原作を読んでいないのでわからないが、恋愛至上主義というか、恋に落ちるという生き方が魅力的だし、そのような魅力的な生き方をだれもが選択できないという主張は良くわかる。男女が惹かれ合い刹那的な逢瀬を経て、-それが家庭を持った「主婦」という人々であっても(「だからこそ」と付け加えてもよいが)-より深く結ばれる、という主張だってわからなくはない。でも映画はあきらかに失敗だろう。岡田准一、黒木瞳、何よりも寺島しのぶが好演していただけにとても残念。