留学生は大学を存続させるための道具でしかなくなったらしい

仮定の話として聞いて欲しいのですが、もしあなたやあなたの子どもが留学を望んだとして、アメリカなりイギリスなりタイなりの大学に留学が決定したとします。ところがその大学では住宅斡旋はせず(まぁそういう海外の大学も多いとは思うのですが)また存在するはずの「留学生寮」は満室のため入寮届けを出しても入れず、「留学生向けの手厚いサポート」を歌っているワリには100名ほどの留学生に対して一人しか担当職員は存在せず、あなたのお子さんが現地で支払うべき税金や各種公金を不払いでいる(強制送還の対象となるような犯罪行為)事実を知っていたとしても事務官は放置し、「手厚い留学生のサポートはどうしたんだ」「そんなに留学生を受け入れられないと知りながら、なぜこのように多くの留学生を受け入れたのだ」と問いただすと、『様々な事情があり、受け入れざるをえなかった』としか答えない、、、こんな大学にあなたは留学したいですか?またはお子さんを留学させたいですか?

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7/8-7/9にかけて代々木のオリンピック記念青少年総合センターで開催された「平成22年度留学生交流研究協議会」(主催:独立行政法人日本学生支援機構)に出席した。現在学生指導部の留学生担当というポジションにおり、留学生の生活バックアップについて思うところがあり、少しでも支える手立てがないものかと思っていたところのこの研究協議会があったので、意気揚々と会場にやってきた。
ところがこの期待はものの見事に裏切られる。こういう会議にはつきものなのだが、冒頭の挨拶からして「退屈」を連想させるにふさわしい内容。日本学生支援機構の設置目的やその存在意義などを延々と挨拶で述べる理事。事業仕分けが進むこのご時世ということもあり、その存在意義を一生懸命アピールする必要があるのだろうが、そんな配布済みのパンフレットに書いている話題を今更述べる必要がどこにあるのやら。加えてそのあと各省庁の方々がぎっしりと書き込まれたパワーポイントで留学生に関する制度説明などを行う。厚生労働省のパワーポイントはよくできていたが、他の省庁のプレゼンは資料の棒読みで聴くに値しない。こんなものを聴くためにわざわざ宮崎からきたのかと思うと涙がでそうになる。出席者の一員として思うのだが、やはり日本学生支援機構は仕分けの対象にすべきであろうと思う。こんな無意味な集会やっている暇があったら少しでも奨学金事業(旧:日本育英会事業)に資金を回すべきだと思う。
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この全体会に引き続き行われた分科会でも見事に期待は裏切られる。「外国人留学生の生活支援・相談体制について」というセッションに参加したのだが、留学生担当者の愚痴をのべ合う会になっていてまったく実りのない集会だった。これが私費参加だったらとっくに帰っているのだが、公費出張ということもあり最後まで顔をだす。
もっともはじめの方は学費滞納する留学生に以下に学費を払ってもらうかという話から始まり、通常は認めない分割払いを認めたり、学費を完納するまでは卒業証明書を発行しないといった涙ぐましい努力が語られた。また留学生に対してアパートの保証人が用意出来ないこと、学寮の部屋が足りず寮を希望する留学生を外に出さなくてはならないといったことなど、第三者が聞いても実に涙ぐましい努力をしていると思う。この人員削減が進む大学の経営の中で留学生担当者の数も十分ではないという事情もよくわかった。
だがだが、そもそも留学生をサポートする環境が十分でない状態で留学生を受け入れる状況については疑問をいだかないらしい。気になった僕は「スタッフも設備も揃わない状態で学生を受け入れることに問題はないのですか」と尋ねたところ、とある関西の私大の事務官が「様々な環境を留学生に提供できなくても学校を存続させるためにはしょうがない」と平気でいってのけ、ほとんどの事務官がそれにうなずいていた。その会場で唯一の教員出席者だった僕は唖然としてしまったのだが、その場の雰囲気からすると「そのとおり」ということだったらしい。

かつて雪印が、「白い恋人」の石屋製菓が、北海道のミートホープが、自社存続のために顧客のことを考えず「しょうがなく」賞味期限切れの食品を原料として用いたこととなんら変わりはない。こういった大学では「大学は学生のもの」ではなく、「学生は大学の存続のためにある」道具でしかないのだろう。決して明るくない今日の大学の状況であったとしても、仮に私が教員であり事務官と立場が違うとはいえ決して許容できない話題であった。しかしこの信じられない話は「現状(惨状)」としてはそのとおりなのだろう。かつて寺山修司は「劇場があって劇があるのではない。演劇があってそこが劇場になる。」と言ったのだが、「学生が集まった場所が学校となる」ような幸せな空間はもう登場しないのだろうと思うととても悲しい。

さらに続く。私立大学の事務官が相次いで「うちの学生は払うべき国民年金も国民健康保険も支払っていない」、「払ってくださいっていっても高くて払ってもらえないのが問題」という現状を話す。素直に驚く。日本国内にいる以上支払い義務のあるこれらの公金を支払っていない学生を指導し切れていない大学があることに、またそういう意識の留学生がいることに絶句する。国民年金や国民保険制度についてその制度について私だって文句はある。だが、これは義務であり授業料のような私人間の契約とは異なる。「学生に指導しても払ってもらえない」というような話題ではない。大学側は学生の不正を知っていてもそれを放置していると言っているのだ。
もちろん、他の大学の中には国民年金・国民保険の支払い証明がないとビザ延長手続をとらないという対応をしているところもある。全てではないが、客である留学生をしかり切れていない大学がたくさんある。
この時点で気持ちが悪くて悪くてしょうがなかったのだが、座長を務めた神戸夙川学院大学の事務官が「学生が支払い督促状を持ってきたところその額があまりにも高かった(断っておくが、通常の算出法で計算が間違っていたわけではないそうだ)ので、市役所に抗議した」との武勇伝を披露する。と、なぜか他の出席者からどっと笑い声があがる。
分科会とはいえ、公的機関が開催したオフィシャルな会議上での話である。不愉快でしょうがなく席をいったん立って気持ちが落ち着ちつけてから部屋に戻る。記録係がいたことから教員として私がこの雰囲気を当然のようにうけとった(何も発言しなかった)ということが記録に残るのはいやなので、氏の発言がいかにおかしいか最後に指摘する。少し感情が高ぶっていたので趣旨だけ書くと
・支払い義務のある公金と授業料の延滞を一緒にするというのはどういう了見で、それは教員側も承諾している話なのか
・こんなオフィシャルな場で公金を払っていない学生のことをどうどうと報告するな
というようなこと。ところが件の某氏は「そういう意見があることを知って、よい勉強になりました」と答えられた。なるほど私の意見は事務官が多いこの分科会では「そういう意見」というマイナーな意見らしい。全ての大学がこのようなひどい対応をしているとは思わないし、このような対応をしている国際部長だけがおかしいのかもしれないのが、公的な立場での発言とはとても思えない。こんな大学にだけは留学生だけでなく日本人学生も勧めたくない。

留学生をめぐる惨状を知ったことはとてもプラスになったが新設私大にとって留学生というのは単なる道具なのだなぁと思った2日間で、反面教師としてとても勉強になったよい機会であった。

※どこの大学か知りたい方は、知人に限定してお教えしますので、こっそり連絡ください。