殴り書きブックレビュー

ジェンダー関係の研究会に行くつもりだったのだが、相変わらずの体調不良のため自宅にて自習。積ん読だった書籍を片っ端から読み倒す。

最近はまってしまった香山リカさんの書籍が講談社現代新書から出ている。香山(2004)『いきづらい<私>たち 心に穴があいている』、香山(1999)『<じぶん>を愛するということ 私捜しと自己愛』 。香山(1999)は、1999年代の「自分探しブーム」についての考察。そのブームが1980年代のサブカルチャーのまっただ中にいた香山氏は非常に違和感を感じたらしい。その違和感をサブカルチャーの内部にいた「オタク」である氏自身によって観察されているところがおもしろい。そして「オタク化することで今を生きろ」とする発想には目をみはるものがある。世の中って、「オモシロイモノ」、「オタクになれる要素」が一杯ある、そこを突破口として「生きろ」という香山の言説は大変おもしろい。とかく否定的なイメージのつきまとう「オタク」に「なれ」という発言が「生きろ」という建設的な発言として機能しているのだ。また、香山(2004)はこの日記でも紹介させて頂いた『ぷちナショナリズム症候群―』中公新書ラクレ、をめぐる一連の議論を経て、現代的な文脈の中でもだれかの精神障害をもはや病気とよぶことができないほど、「病気」と「健康」のボーダーラインがあやふやになっていることを示す。現代社会の病理を心理学の立場から論じる氏の議論はいずれも大変興味深い論考ばかりで、はずれがない。しばらく目が離せない論客の一人だろう。
香山氏の書籍を購入したときに同時に購入した 姜尚中、テッサ・モーリス-スズキ(2004)『デモクラシーの冒険』集英社新書は、イラク戦争以降のデモクラシーをめぐる状況について記す。香山が精神科医の立場から現代社会の問題を論じつつたどり着いた結論と、フォーディズム以降の資本主義の中で、労働運動・社会運動が守られたデモクラシーとして機能していたことを示し、世界的な新分業体制の下では、旧来の運動枠組みが成り立ちにくいことを指摘している姜・テッサの結論がかぶるのがおもしろい。今日的な時代状況の中では「共同体(コミュニティ)」が存在しないということで、たとえばインターネットで各人がそれぞれにアクセス能力を持つようになった現状では、もはや代理人としての議員の存在は「意識下」では薄くなりながらも、現実に政治の重要な決定は、議員ひいては政党、もしくは公的な選出によらない審議会メンバーによって行われることを指摘している点が興味深かった。
昼になり少し体が楽になったので、志ん生のCDを返却かねがね、中原図書館に向かう。中原図書館は小規模ながら、社会学の基本書と、日本の思想書が多いのがありがたい。梅原猛(1995)『森の思想が人類を救う』小学館、「日本的な森の文化が世界の環境問題を救う」という主張。講演の書き起こしも入っており(少々な日本文化賛美、、、というところに違和感を感じなくもないが)、読んでいて「ほうほう」と引き込まれてしまう。梅原氏の研究業績を手っ取り早く知るには最も適した本かもしれないな。ということで、オススメ。
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読書の間、友人がご実家から送ってもらったというカブを手羽先と一緒に炊く。ごま油で皮に焦げ目をつけた手羽先とカブの相性のいいことといったら・・・。ゆずみそをとろ火でゆっくり練り上げ、でれっ、と皿に盛ったカブの上にかぶせる。ああ、冬の贅沢だなぁと思う。ついでにといってはなんだが、カブをつつきながら「あ、これは白ワインがあうかも」と思い立ち、先日知り合いがもってきてくれた「いづつワイン」を開ける。これが旨いのなんの。ささやかな夕食のはずが、とんでもなく豪華な食事になる。
たった一杯のワインが、食卓の世界を劇的に買える。カブの味も、コラーゲンたっぷりの手羽先も、ワイン一杯で奥深いものになる。AさんMさん、本当にいつもいつもすいません(T-T)。
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本日の読書三昧の最後をしめるのは難波江和英、内田樹(2004)『現代思想のパフォーマンス』光文社新書。実はこの本は2000年に松柏社という出版社から同タイトルで発売されていたものの新書版。ああ、なぜ2000年の時期にこの書籍に出会っていなかったのだろうと悔やまれる。現代思想の幾多の代表的な論考をベースに、事象を分析するという試みが行われており、大変おもしろい。個人的な趣味としてジャック・ラカンとエドワード・サイードの解説は大変コンパクトに要点を押さえており、ポストモダンの思想がどのように現実社会を分析するのに役立てればいいのか、大変参考になる。橋爪大三郎(1988)『はじめての構造主義』講談社現代新書、と現在廃版になった別冊宝島の『わかりたいあなたのための現代思想入門』宝島社、そしてこの書籍があれば学部生にも現代思想のマップが描けると思う。久々の大ヒット。