村の貨幣

日曜日。ミサにも出かけず、ずっと走り回る。はじめに朝7時にアポイントを取っていた隣村の若いOBT委員のところでインタビュー。そのあと20キロメートル離れた村までバイクを走らせ、長ネギとジャガイモ畑をカメラにおさめる。そのあと今いる村の麓にあるカレン族の村へ。貯水池を見て、村の人と話す。そんなこんなで朝食・昼食もとれずふらふらで村に帰る。会うなり、村長のおばあさんは白いご飯を山盛りついでだしてくれた。

今日のささいな収穫なのだが、この集落いったいのモン族がオピウムを売買するときインドのルピー貨を使用して代金の支払いが行われたそうだ。そのため、この周辺の村々では、「バーツ」「サタン」といったタイの貨幣の他に、「ルピー」が婚姻の時などに使われていた。たとえば結納金の相場は15年前まで「ルピー200枚」だったそうだ。モンの研究書では「結納金の代金は銀塊3つ」という説明がされるのだが、こういった結納金の額も手渡しされる銀も時代によって変化することに目が行き届いていなかった。あぶないあぶない。

ただ、最近になって、これらのルピー貨幣を古物商が目を付け、買いあさっていったことと、結納金をバーツで払うようになったためにモンの晴れ着に使われたりしたことから村人もあまり現在では有していない。実際にいろいろな貨幣を見せてもらった中で、古かったのは1フラン硬貨で実に1890年のものだった。一枚だけ、「これはきれいだ」と思っていたおじいさんがずっと大切にしまっていたもの。古い1フランの硬貨の中の『自由の女神』を自由の民(モンは彼らの言葉で「自由」を意味する)の末裔はどういう思いで眺めていたのだろう。