日本国憲法が大切な理由

憲法

前書き

とある知人から、「先生の憲法の授業を全て書き起こして欲しい」とずっと言われておりました。

いつもライブ重視の授業をする人間なので、書き起こしてみたところで面白くなるかどうかはわかりませんが、授業評価アンケートはいつも満点に近いので、きっと学生には聞きやすい授業なんだと思います。こういう時勢なので、ゆっくり書いていきます。あと書き起こし特有の現象で、指示語(これそれ)などがでてきて、それを補うのが十分じゃなかったりします。

出版化の予定などはありませんが少しづつ。同業者のみなさんからは「生暖かい」眼差しをいただければ幸いです。なおベースになっているのは、教育学部1年向けの「日本国憲法」です。某大学のみなさん、大分忠実にライブ感満載で書き起こしていますが、どうですか???リアクションがあると少し原稿執筆のモチベーションがアップするので、嬉しいです。

それと、このノートの下の方にコメントを付けられますが、基本コメントはお返ししません。次回以降の回で回収するお話もありますので、そこは放置で。誤字脱字とかてにをはについては随時書き換えていきます。

以前から書こうと思っていたんですが、こうやって自分にハードルを課さないと、無理っぽいので。

※このノートはもともとFBで公開していたんですが、本日のSEALDSの学生による国会スピーチを見て、SEALDsが前提としている「お話」を共有できればいいな、と思いWebでも公開することにしました。

自己紹介

はじめまして。私吉井といいます。国立都城工業高等専門学校、通常コーセンと呼ばれる学校の教員です。今日からみなさんと憲法の勉強をします。よろしくお願いいたします。

「なんでコーセンの教員が憲法の授業を教えるの?」って思った方も多いと思うんです。そうですね、実にもっともな問いです。しかも僕の専門は、「法社会学(ほうしゃかいがく)」という法学の中でも極めてマイナーな領域の研究で、さらにその中でもほとんどいない「固有法」という分野の研究をしています。例えばタイの少数民族、モン族のルールを研究していたりします。そんな僕が、故あってみなさんの憲法の授業を担当しているわけです。その話もおいおいしていくことにいたしましょう。

憲法って大切ですか?

まず初めにみなさんに質問です。

「憲法って大切ですか?」

Yesの方?おお、多いねぇ。ではNoの方?あら、おふたりいらっしゃいました!では多数派のYesの方に聞いて見ましょう。どうしてYes?

−「大切だって教わったから」おお、エライ。
−「戦争しちゃいけないって書いてあるから」
−「なんとなく」おお、それもいい意見ですね。

ではNoの方は?

−「アメリカに押し付けられたから。実情にあっていないから」
注:2014年の授業で実際にあったやりとりです

そうだねぇ。でもちょっとまって、それは「日本国憲法が大切でない」という話であって、「憲法が大切でない」という話ではないよね。でも思ったことをちゃんといった君はエライ。「日本国憲法と憲法」の違いを先に説明しない僕がまずかったので、君の答えは「憲法の大切さはともかく、日本国憲法は大切ではない」ってことでいいかな?では次のNo派。

−「よくわからないから」

あ、あなた正直ですね。たぶん日本の国民のほとんどは「憲法が大切かどうかなんて考えたことなくて、なんとなくそう思ってきた」方が多いと思うんですよ。

・・・え、ますます混乱する?そうだよね。
あ、話もどします。「憲法は(混乱する人もいるので日本国憲法も含めて)大切かどうか」というお話でした。
私見ですが「大切」なんだと思います。ただし、日本では、憲法の大切さについて議論される機会が少なかったんです。現にこの大学でも「憲法って必要ないと思っている先生方が多い」んです。大学としては教員免許を取る学生に必要な科目なので必ず開かなきゃいけないコマなんです。で、自分の大学にいないから、僕のような法学の教員であれば工業高専の教員であろうが声をかけるわけです。でも本当は必修科目なんだから、各大学に一人づつ法学の先生がいてもいいと思うんだけれど、そんなことは許されないんですよ。だって、教員を一人雇うのにいくらかかるかわかる?たかだか一科目のために一人分の教師のお金を出せないっていうのが今の大学なんです。これは18歳人口の減少や、大学の経営状態など様々な環境があるので、大学を責めてばかりいるわけにはいかないんですけれどね。

あ、ずれました。戻ります。「憲法は大切かどうか」というお話でした。大切です。理由があります。その答えは実は憲法に書いてあるんです。
ここで日本国憲法の第98条をみてみましょう。

憲法第98条

1.この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2.日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする

ほらね。「この憲法は国の最高法規であって」って書いてあるでしょ。だから、「なぜ憲法は大切なのか」という問いに対する答えは、「憲法98条に最高法規と書いてあるから」ということになるわけです。「最高法規」ってのは、「最も力のあるルール」という意味ですね。はい解決。
・・・ってわけにはいきませんよね。やっぱり。その昔「天才バカボン」というマンガがあって、その主人公の「バカボンのパパ」の決めぜりふがこうでした。

「バカボンのパパだからパパなのだ」

これと同じように「憲法に書いてあるから、憲法は大切だ」という文言に納得できます?簡単に納得してはいけません。もしこれが許されるなら、「吉井先生は最高の先生だ、なぜなら吉井先生がそういっているからだ」という発言も許容されることになっちゃいます。実はこの98条、「形式的最高法規性」と言われており、「形式的に端的な根拠を求めるとしたら」というぐらいの定義が書かれている条文にすぎません。ということは感のよい方はピンときたかもしれませんが、「形式的」な最高法規性があるってことは「実質的」な最高法規性というのもあります。もっと具体的な理由が書いてある箇所があります。それが第97条。

第97条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

これ、すごい熱いこと言ってますね。もう少しかみ砕いていうと

「この憲法が日本国民に保障する人としての権利は、これまでの歴史の長い努力の積み重ねで得られてきた。だから、これらの権利は今生きる私たちがお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが守って手に入れたものなので、わしらがやっとの思いで手に入れた人としての権利を大切に守って(信託)次の代にバトンタッチしてください」

といっているんです。これすごいおはなしです。わたしたちは、「人権」という人類がやっとてにれたものを、「お前なら大丈夫だろう」と信頼して託されて(信託)いるんです。人類の歴史は日本だけでなく世界中で、「その人の責任によらない不可抗力の事象で他人を差別してもかまわない」という時代が続きました。例えば江戸時代のテレビドラマを見ると、人がばたばた切り倒されたりするでしょ。「切り捨て御免」とかなんとかいって、農民とか切り捨てられちゃうの。あとは女性が女性だという理由だけで、家の財産を継げなかったり、つけない職業があったわけです(あ、今もこの傾向がないとはいえないのが日本の悲しい事実ですが)。そうそう日本では、「女性」というだけで、第二次世界大戦が終わるまで選挙権がありませんでした。

世の中で何が卑怯といって、「自分の意思で決定できない属性をもとに相手を見下す」ということほど卑怯なことはありません。これは「差別」と呼ばれるものです。いや皆さんが「差別でも構わない」と思うようなタイプの方なら、これ以上のお話は必要ないんです。でもおそらくほとんどの方は「差別いけない」と思ってくれると思うんですよ。男女差別、障害者差別、人種差別、学歴差別、容姿差別やっちゃいけないってわかってますよね。

この中には一人だってお母さんのお腹の中にいるときに「わたしは日本人の男で、大学に通えるお金持ちのところに産まれて、ジャニーズみたいにかっこよく産まれてくる」って決定して生まれてくる人はいません。みなさんが今のパーソナリティを持っている、アイデンティティをもっているっていうのは偶然の産物にすぎないんです。あとコンパの席で血液型占いとか星占いで盛り上がっている方いますけれど、あれも差別です。だれかこの教室の中にお一人でも「自分はA型の牡牛座に産まれたい」と思って産まれてきた人っています?

人は産まれてくる環境を選べません。にもかかわらず、そんな不可抗力のことで誰かが誰かを差別することがある。だから、そんな理不尽なことをしないようにしましょう、ということで「人権(human Right)」が誕生します。「人間はおぎゃーと産まれた瞬間から同じ人間としての権利を持っている」という考え方です。(社会の時間にルソーの「天賦人権説」って聞いたことありません?アレです。アレ。)

この考え方が初めて歴史の表舞台に出るのは、ヴァージニア権利章典、アメリカ独立戦争、そしてフランス革命の流れの中でです。宝塚でやっている「ベルサイユのばら」の時代のお話ですがごらんになったことあります?ベルサイユのばらでは貴族階級のオスカルと平民出身のアンドレの恋の話が展開されるんですが、身分を超えて恋しちゃいけないなんて、きっとみなさんには不思議な話だとおもうんですよね。物語の中では、結局二人ともフランス革命の最中に死んじゃうんですけれど。

世界で最初の人権として登場するのは自由権です。その人の様々なパーソナリティについて、国家は関与しない。間違えても国家が人間を差別したりしない。また国民の間で、誰かがだれかの人権を踏みにじるようなことがあった場合には、国が全力を持って「自由を迫害する人」を指導する。そうこの「自由」って何かというと、ずばり「国家からの自由」ということなんです。この話、後の人権編でお話しします。

で、97条にもどります。97条に書いてあるのって「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」という文言ですよね。これ、「人類がこの段階にたどり着くまでに長い長い歴史があって、それまでに何人もの農民/平民が理不尽な思いをして、女性が女性というだけで虐げられ、様々な人々がたくさんの血を流した結果として」手に入れた人権だから大切に次の代に渡してください、っていわれているんです。

今は時代がおかしくなっちゃって、人権を連呼するとバカにされるような風潮もありますが、違うんです。とても大切な事なんです。

人権は「これまでの人類の歴史の積み重ねでやっと手に入れたもの。だから大切に守って次の代にバトンタッチしなきゃいけない」というものなんです。

「人権」を語る方々を軽く見てはいけないんです。そして、分かって欲しいんですが、憲法って国の政治に関する大事なルールを定めた法なんですが(「法」についてはのちほど説明します)、何よりも「人権」を規定するためだけに作られたと言っても過言ではないんです。

そう、だから「憲法は大切。それは、人権を守るために作られたモノだから」というのが冒頭の問いへの答えになるのです。憲法の中では、国会や議会、裁判所など国のルールに関するいろんなことが憲法の後半部分、通称「統治機構論」と呼ばれるパートで規定されていますが、まずは「人権」を守る為に作られているのが憲法だということをご理解ください。

ひょっとしたら「憲法は国会や内閣などの政府のことが書いてある大切なルール」と思っていた方もいるかもしれませんが、それはあくまでもオマケでしかないんです。「人権」が守れるんだったら、政府組織なんかいらないんです。「人権」を守る為に、しょうがなく政府組織が必要になっている、っていうのが正しい。

憲法は人権を守るためにあります。政府組織がどうたらこうたらってのはおまけなんです。

あ、また話がそれました。で、結局「日本国憲法を含む憲法が大切な理由」をさらにまとめると、

「人類が長年にわたってやっとのことで手に入れた権利(人権)が記され、託されたものだから」

ということなんでしょうね。

<気が向いたら続き書きます>