価値

韓国に行く直前に気になることがあって、カード会社に電話でお願いしていたことがあった。

現在使用中のカードは、ANAカードで自動的にマイレージがたまるしくみになっている。が、学生の時分に作ったままとなっており(<ほら、もう26年も学生していたんで)、使用限度額が10万円しかない。そのため、航空チケットを購入し、旅先でちょっとした買い物をすると、それですぐに使用不能になってしまっていた「困った」カードだった。

そこで、社会人になったこともあって、社会人向けのカードの発行手続きをお願いしていたところ、昨日カード会社から手続き書類一式が届いた。それは「ゴールドカード」への切り替え手続き書類だった。

唖然とする。

去年まで、本当にここにはとてもかけないぐらいの収入しかなかった。加えて昨年は身も心もずたぼろで通院しながらの生活だったので、すべての税金が免除され、生活保護も申請すればもらえていたという状態だった。

それが、いきなりゴールドカードというのは、、、。なんか自分の価値が高等教育機関の先生になったから、というところでしか評価されなかったようで悲しくもある。もちろん、この資本主義経済の中では、カード会社がこういう手続きを取ろうとしたことは、間違いではないのだろうが、もし、就職していなかったら「クレジット(信用)カード」のゴールドなんてもてたんだろうか。そんな「ゴールド」なんていらないのになぁ。

社会的な信用、なんてものよりも生きる上で必要な家族とだけ、信用を勝ち得たならそれ以上のものは必要ないのに。

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加えて、このエントリーを書きながら、現在の職が決まる直前まで就職しようと思っていた会社のニュースが流れてきた。10%もの大幅な人員削減があるようで、僕が当初着任する予定だったセクションはずばりリストラの対象となっているようだ。

就職することはなかったが、出会った方々はとても素敵な方々ばかりで、心底「この会社で働きたい」と思った。お世話になった方々は動揺されているのではないだろうかと、とても心配だ。

韓国で久しぶりに再会した師匠が、「君をみていると、最後の最後で必ずベストな方向を選んでいくのが不思議だ」といっていたことを思い出す。あのまま就職していたら、僕もまた早速リストラの対象になっていただろう。

運命はわからないものだと思う。