あの日

3年前の今日、NYでテロがあり、多くの方々が亡くなった。旅客機がビルに突入したちょうどその瞬間僕はタイで家庭教師をしていて、家庭教師先のお父さんが「大変だ大変だ」と教えてくれた。さっそく家庭教師先のNHK衛星テレビで確認したのだけれどお父さんの「大変だ大変だ」というその言葉が、ブラウン管の中の崩れゆくWTCビルの画像にうまく結びつかなくて、「映画のようだ」としか言えないブラウン管の中の光景を現実のものとして受け止めることができなかった。ただただ「大変だ大変だ」というそのお父さんの言葉だけが耳に残っている。

ただあれから3年の月日が過ぎ、そのときの「大変だ」という自体はより進行しているとは思う。「大変」な自体が生じたあとで、「大変」さが収斂することなく、その深刻さはますばかりなのではないかと最近の状況をみて思う。

現在も1万人近くの身元不明の人骨がグラウンド・ゼロ(GZ)の下に眠るのだという。これもまたなかなか想像がつきにくい。日本で生活している僕のリアリティは所詮そんなもので、NYで生活する人々にとってGZを通過するリアリティはまたちがっているだろう。「大変」な事態は今も今後も変わらないだろう。

櫻の樹の下には死体が埋まっているのだと書いた文学者がいた。今高層ビルの下にも多くの屍が眠っている。櫻の樹が美しい花を咲かすのに比して、3年前の今日亡くなった方々の上には、醜悪な政治模様しか花開いていない。アメリカの対応だけでなく、日本の対応も含め「大変」が「大変」のままでなんの進歩もなかったのがこの3年間であったような気がする。

改めて、3年前にNYで無くなられた方々のご冥福を再度心から祈りたい。
Amen