「大学に行く理由」を高校生に話す@横浜シェラトンホテル

横浜のシェラトンホテルで教え子とお茶。時に強風激しく、都内では咲き始めたばかりの桜も花びらどころか枝ごと折れてしまっているような強風の中。連休中日ということもありどのお茶屋も満員で、かつゆっくり話すのに最適なルノアールは横浜駅周辺にはない。もう半分ヤケのところもあり、「おもいっきり贅沢な旅行にしちゃえ」と横浜シェラトンのカフェを利用することに。ああ、相変わらずここのシフォンケーキは美味しい。

と、シフォンケーキに感動しつつも教え子の相談をうける。彼は僕が食えない大学院生時代に家庭教師をしていた生徒。コンピュータ業界に就職していたら最後の学生になる予定だった「食えなかった時代最後の学生」で、感慨深い学生の一人。出会ったときは小学校6年生だった彼もとうとうこの4月から高校3年生となる。勉強・進学・恋・部活などのいろんな話を聞く。ランドセルを背負っていたころのイメージが強く、「そーかー、こんなに大きくなったんだなぁ」と思う一方で彼の変わらない素直なところにも感動する。
志望大学・志望学部というだけでなく、もっと大きい「自分の生き方」について考える時期にいるようで僕なりに「なぜ大学にいくのか」という彼の問いに真摯に向かい合う。

以下その場で述べた私見を少し書く。

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これは別に彼だけでなく、本務校の高専の学生さん達にも伝えている事なのだが、大学を含む高等教育機関は「学問する場」である。学問する場、というところはどういうとこを目標にしているかというと「教養を身につける」という目標を持っている(と思う<ちょっと強くは言わないけれど)。
「教養」の定義はこれも論者によって様々だが僕の定義としては「先が読めるようになる」ということだと思う。
それは知らない人々の中に放り込まれたときに、その空間の雰囲気を読んでその場に溶け込める能力。それは芸能のゴシップや下世話な話で場を盛り上げる、というようなものも一部に含めてよい高いコミュニケーション能力のことを指すと思う。
より具体的に書けば未知の社会で活躍しようとする青年が初めて入っていく世界で数多く「ワカラナイコト」を「僕は今この場で話がされていることがわからない」と理解することができ、それを素直に「僕はこの話題がわからない」と表明できる潔さと同時に、その「ワカラナイコト」のうちのいくつかの「ワカルコト」を手がかりに「ワカッテイク」センスを磨き上げる能力のことだと思う。
そしてそうした「教養」こそが「科学」の礎となり「大学」を存在させている。
それは近代科学の父ニュートンが手の届く高さの木から落ちるリンゴをみて、はるか遠く人間がどんなに頑張っても到達することができない遠い宇宙の果ての星々と地球の関係を説明できるような理論を生み出したような「科学的センス」と密接な関係を持つ。
と書くとたとえば、芸術学部の音楽・演劇、体育学部のスポーツといったものについてどうしてそれが「学問の府」である大学で学部として独立しているか不思議がる人がいる。だがあれも立派な科学なのだ。例えば演劇なども蜷川幸雄がイギリスで高い評価をうけているが、日本語で展開されるシェークスピアの劇は、一見したところ「日本だけ」の劇のように見えるがまさしく「ニュートンのリンゴ」のように高い普遍性を持っている科学的な空間なのだ。役者の立ち位置、言葉の抑揚、流れる音楽、舞台上に配置された小道具の一つ一つまでそこに他地域での(たとえば英語のシェークスピア)劇に通じるような美しい理論がある。余談だが、先日某大学の文学部演劇学科の学生と話をしたのだがシェークスピアの講義は聞き飽きたのだという。だがその一見すると古めかしいシェークスピアをくり返し学ぶことは、「リンゴの樹」から真理を導き出したニュートンのようにシェークスピア以外の劇でも通じる「演劇人としての教養」を生み出してくれるのだと思う。イチローの素振りにしても何度も何度も基本の動作を切り返し身につけることで、多様なボールに対応出来るようになる。一つの身体的な基本のフォームがありとあらゆる事象に対応出来るルールとなるのだ。
昔のことわざで言えば「一を聞いて十を知る」ということなのだが、身も蓋もない言い方をすれば実はこういうセンスを大学に行かなくても磨くことはできる。少子化のご時世で、名前だけ書ければ合格するような大学も山ほどあり、また情報が多く世の中にあふれ簡単に情報機器を用いて取り出せる昨今では大学のありがたさも減っている時代でもある。

じゃぁそれでも大学に行く価値はあるのか、といわれたらこまるのだが、それでも大学に行く価値はある。それは「効率性」である。同じような方向性で同じ道を歩もうとする同じ志を持った人が集まるということ、そして「教養」を身につけるための最短のコースが提示されていることが大学の良さなのだ。

だから大学にはこうした意味をわかった上で行きなさい、というのが僕から彼へのアドバイスだったわけで。少しほっとしたような表情を見て、改札で別れる。

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暴風雨がつづき翌朝の便が気になったため、そのまま横浜のスカイスパに宿泊。案の定、翌日は始発から欠航が相次ぐ中、早めの便に振り替えてもらって早々に東京を後にする。ひさびさの贅沢旅行もこれにておしまい。

P.S. Y君「大学に行く理由」の次にもっとも「学問する場」でどのように「師」と向かい合うかという問題はあるのだが、それは第二ステージでお話しましょう。