終の棲家

とうとう終の棲家を買うことにした。35年ローンなので、完済する80歳まであと35年は長生きして支払いをつづけなくてはならないかと思うと身震いするが、「この街で無理のしない範囲で生きて行ければよい」のだと、そう思えるようになった。

本当に残念なことに昨年末の同僚の訃報が最終的には僕の背中を押すことになった。この件については、言及するのもはばかられるような多くの出来事が生じ、自分の感情をどう表現していいのか整理がつかず今日に至っている。周囲の方々のお気持ちを僕はとても代弁できないが、自分に関してのみ言えば、シェロスバーグのいう転機(Transition)が生じているんだろうと思っている。時間を費やした結果、そして自分にできることをいろいろと考えることになり、この土地で生きていくことを変えられないとすれば、また今後どう生きるかを考え直すとするには「この土地に留まることが一つの選択肢なのだろう」と考えるに至った。

46回目の誕生日の朝はそういう日にやってきた。

例年誕生日になると暗く物事を考えることが多い。ヨブのように自分が生まれてきたことを呪いながら(<旧約聖書的な意味で)生きてきたので、「よくもまぁこの年齢まで生きることができたものだ」と今年も思いながら一日を過ごす。喜びと同じように多くの哀しみもまた神が与えたものなので、そうしたいくつかの思いを胸に、いつものとおりの一日を感謝して普通に過ごすことが僕の例年の誕生日で、今日もそういう一日となった。

カトリック教会では本日は「聖霊降臨」の祭日。時折詩編の詠唱を担当させていただくのだが、今日はいつになく良く歌えた。第一朗読の方が丁寧に威厳を持って読んでいただいたのでその流れに上手く乗れたと思う。教会の中でもこうやって仕事が与えられていて、自分の持つタラントン(能力・才能)はこういう形で教会の中で歌うことの中でも生かされているのだと思う。

そのミサの直前に、毎年のように朝一番に友人のT君からのメッセージが届く。T君は僕が知る限り僕以外で唯一のこの年月日に生まれた人物で、彼とは高校を卒業して初めて就職した都内の職場で出会った。人生の一時期同じ寮で過ごしただけだけれども、出会ってからいつも彼の様に誠実に生きたいと思っていた人物で、兄弟以上に仲が良い。T君の行き方を見ながら自分の行き方をなんども見つめ直し、就職すること、真摯に生きることを考えさせられた。そんな彼と毎年のように互いの誕生日を祝い、互いに健康に留意するように気を付けてやりとりを終える。

自分の人生はもうすでに終盤に入っていて、ユングの言う人生の正午もすでに過ぎて社会的な終活をはじめていかなくちゃならないと思う。T君のような生き方はできなかった僕だが、それは羨ましいというよりも僕には僕に適した形で喜びや哀しみといったいろいろな恵みが与えられているということなのだと思う。

転居に合わせて新居からの通勤用に自転車を購入した。今度も白ルイガノのクロスバイクで、旧者3年前にタイに赴任していたときから放置していたのですっかり忘れていた旧車の白ルイガノは廃車にすることに。「白馬の王子様」にはほど遠い、「白自転車のおっさん」としてこの街を自分なりの目線でゆっくりしたスピードで駆け抜けられればと思う。

今年も多くある喜びや哀しみを恵みとして受け止めていける一年となりますように(でもできれば哀しみはなるべく少ない一年でありますように)。

追記
例年、誕生日の日記はその日のうちに書きおえてアップするのですが、夕方になって体調が極端に悪くなり、熱によるダウンで吹奏楽団の練習も休まざる得ない状態になりました。なんどもリロードしていただいているみなさんにはご心配をおかけしました。気をかけてくださっていつもありがとうございます。投稿の日時は誕生日通りに修正しています。