2021年の個人的な音楽シーンを振り返る(まちおん連載14回目)

「2021年の個人的な音楽シーンを振り返る」というお題をいただく。

筆者は、演奏の場所として市民吹奏楽団と金管五重奏団に関わっているほか、学校の吹奏楽部の顧問として音楽シーンに関わっている。

残念ながら、2020年から続いたコロナ禍の影響は今年も相当に大きかった。プロアマ問わずに管楽器奏者に大きな影響を与え、学校の吹奏楽部や社会人のバンドには演奏の機会はほとんど与えられなかった。特に筆者が勤務する学校では、地域的特性や留学生も在籍する学校ということもあり、他の学校と異なり活動を大幅に縮小せざるえなかった。

管楽器はその特性上、どうやっても飛沫を避けて演奏することはできない。演奏活動の縮小は衛生面から見たら止むを得ない処置ではあったと思う。しかし、同年代の学生が活動しているのを横目に、本校の学生達がフラストレーションを溜めているのを見るのは見ていて辛かった。実際に今でもコンクールへの参加はおろか自主的なコンサート開催すら難しい状態は続いている。

僕自身は、毎年夏に開催される吹奏楽コンクールに懐疑的な感情を多少なりとも持っているのだけれども、ともあれコンクールを目標として練習してきた学生たちが発表の機会を失ったのは教員として大変心苦しい。苦肉の策で行われた「録音によるコンクール審査」は、録音環境によっては十分に実力を発揮できない学校も多々あったと聞く。もちろん、それでもそのような困難を乗り越えて入賞した吹奏楽関係者には惜しみない称賛を送りたいし、きっとそれらの団体にも相当な苦労があったことと思う。コロナの第5波が収束し、社会人バンドも学校バンドも少しずつ練習を再開したようだが、オミクロン株による第6波が予想されており、もうしばらく管楽器奏者には辛い時代が続くのだろう。

吹奏楽の演奏を続けるというのは、こんなに辛いことになってしまったのか、と正直思う。こうした学校・社会人の吹奏楽をめぐる一般的な状況は2021年の記録として決して忘れてはいけないと思う。

そのような状況下ではあったが、個人的には二つの「良かった」ことがあった。

その一つは小学生の管楽器指導に当たることができたこと。曽於市の小学校と市民講座で、飛沫対策を万全に施した上で、複数の小学校の子供たちの金管楽器の指導に携わることができた。子供たちが自分の体よりも大きい楽器と真剣に向かい合う姿を見て、また基礎練習を一緒に繰り返すことを通して、コロナの状況下でも前に進もうとするその姿から学ぶことは多かった。一つ一つのフレーズを歌うように吹けるようになる度に、笑顔で全身で喜びを表現する姿をみながら、演奏できる喜びを子供たちから再度教えてもらった気がする。「そうだよなぁ、楽器の音が一つ一つ鳴るようになっていくのって、本当は楽しい事だったんだよな」と、そういうこともこのコロナ禍の中で思い出すことができた。

そしてもう一つの良かったことは、小学生の頃から知るとある学生(今は卒業しているけれど)がバスの歌い手としてサロンコンサートでデビューしたことだった。個人的なプロフィールは書けないのだが、彼は「一般の大学」を卒業し、名門音大に編入入学して音楽の道を歩んでいた。副科のピアノも聴音も楽典も大学4年生の時にはまったく0の状態から音大受験を決めて、そして卒業しデビューを飾るということがどれだけ大変なことだったろう。弟のように親しんできた、小さい頃から知る学生であるというひいき目ではなく、音大をめぐる状況をしる人からみたらこれがどれだけ凄いことかわかって貰えると思う。本当に残念なことに、ずっとデビューの「その時」がきたら会場の一番前の席で聴くと約束していたのに、その約束を叶えられずYoutubeとDVDでの視聴となってしまったがこんな嬉しい瞬間に遠隔とはいえ立ち会えたのは本当に良かった。

コロナ後になってからより状況は酷くなっているが、コロナ禍以前より音楽を学ぶ学生の状況は決して恵まれてはいたわけではなかった。社会に卒業生の受け皿を十分に作らないまま、第二次ベビーブームのパイに合わせて音大の定員は増えたが、名門音大を卒業しただけでは音楽関係の職に就くのは大変な時代になっている。ヤフオクやメルカリでは音大の学生が放出したと思われる「○○先生選定品」の楽器が安くで売られていて持ち主のことを思うとこれも胸がいたい。音楽を志す学生達に明るい未来があることを祈るばかりだ。

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小学生への個別指導練習の最後の日のこと。楽器を抱えた小学生が僕のところにやってきてこうこっそり教えてくれた。

「本当はこの楽器ではなく、フルートをやりたかったのだけれどこの楽器が少し好きになりました。でも、やっぱり中学校に入ったらフルートを吹きます。」

そんなもんだと思う。でも、人生のどこかで少しでも今演奏している楽器の経験が役に立ってくれればと思う。