女性議員へのマンスプレイニングについて

7月14日(火)付、地元紙の宮崎日日新聞の1面コラム欄「くろしお」を読み驚く。

タイトルは「特技はユーミンのものまね」というもので、河合案里議員の疑惑について書かれたものだ。一読した感想としては、「ミソジニーに溢れたコラムで、非常に不愉快になる」というものだ。

https://www.the-miyanichi.co.jp/kuroshio/_45759.html?fbclid=IwAR3mLqSZhwtNgbRgamnNSpBn5aP5s361YIZx649NLC8ghP-JZs-uQ8K0bu4

宮崎日日新聞社には知人も多いのだが、「くろしお」欄はこれまでも偏見に溢れた記事を掲載していて不愉快になる事が多い。もちろん河合案里を批判するのは構わない。だがそのために「本県出身のよしみ」である必要はなく、「案里さん」などと名前で呼ぶ必要もない。安倍晋三の批判の時に「晋三」「晋三くん」などとは書かないくせに、女性の議員には平気でこういう口調で書く。「河合案里」「河合議員」ではないのか。典型的なマンスプレイニングの文章で、こういう文章が第一面に並ぶことについて、「宮崎県を代表する報道機関」(<宮崎日日新聞のTwitterのプロフィール)の会社として恥ずかしくないのか。さらに出身地である宮崎に河合議員の親戚とのコネクションを暗にほのめかすのもどうか。

河合案里が現在報道されているような内容をやってしまったのだとしても、「勝つために不正に手を染める」ことになった究極の原因は、このようなミソジニー溢れる宮崎の土壌にあったのではないか、と思う。女性が女性であるというだけで、正当な評価も、正当な批判も受けられず、またそのことにこの地域に住む我々が無自覚であることにも向かい合いたい。