「骨壺」のこと 川内原発の再稼働について

※この文章は先日書いたナウシカ的学生とユパ様的教員の続編として書かれています。よければ、こちらも併せて読んでいただければ、当方が危惧していることがもっと分かっていただけるかと思います。

研究室宛に、「川内原発の再稼働に関する識者の意見」を求める取材の電話が入っていました(海外から留守番電話の遠隔操作機能で知りました)。答えられずにすいません。っていうかメールください。答えたいことは沢山あったのに残念です。

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その昔、この原発を「骨壺」と呼ぶ方々がいました。今はさすがにペイントされていますが、当時は非常に無機質な感じのする冷たいイメージの施設でした。上記リンク先の写真はその「骨壺」と呼ばれていたころの写真です。

その「骨壺」が再稼働したとの報をバンコクで聞き、心中は穏やかではありません。

推進派の待望論もここぞとばかりにメディアを賑わしているようで、反対派への批判もここぞとばかりに登場しています。いちいちリンクは貼りませんが。

なるほど、現在の電気料金の値上げは原発の再稼働によってクリアできるのでしょう。

なるほど、「原発を再稼働しなくても十分にやっていける」という反対派のおめでたい主張には、「老朽化した火力発電所の運用にどれだけの燃料費を費やしていると思っているのか」とおっしゃりたいのでしょう。

なるほど、ホルムズ海峡を例に出すまでもなく、世界の情勢をふまえるとエネルギーを多元化することは国防上大切なことなのでしょう。

なるほど、原発推進派の方々のおっしゃるとおり、反対派の方々は「現実を踏まえていない机上の空論」を唱える人間なのでしょう。

ですが、その運転に際して生じる様々な放射性物質の処理については、なんの打開策も見えていません。壊滅的な被害をうけた福島第一原子力発電所はもとより、通常の廃炉作業を行っている東海原子力発電所の解体作業ですら遅々として進まないのが現状です。今日「トイレのない施設」と呼ばれているこの施設の稼働の「その後」について、震災を経てもまったく議論が進まなかったのは残念な限りです。その処理費用も何兆円という規模になることが分かっているにも関わらず。

「30年ぐらいたてば処理技術が格段に進歩するから大丈夫」というお気軽な発言をされている推進派でかつ現実主義だと標榜する方々もいらっしゃるようですが、この「○○年後には再処理技術が確立する」という文言は、実は1970年代の原発建設期にさんざん使われていた言葉であることは伏せられたままです。「『あしたのジョー』の「あした」」が劇中では語られなかったように、「○○年後の再処理技術確立」の「○○年」も来ることはないでしょう。

僕は理系の研究者ではないので技術論に関しては自重したいと思いますが、「現実的な視野」という名の下で半減期の10万年後ももちろん、30年後の遠い世界を想像することを放棄した方々の「想像力のなさ」に悲しくなります。もちろん「想像力のなさ」は、「現実的な視野の欠如」と表裏一体の関係にあります。「創造力がない」方で、「現実的な視野がある」方など当方の短い人生の中では、お目にかかったことがありません。

僕のコネクションには原発産業に関わる友人・学生・先輩もたくさんいます。その方々の生活の糧となる原発を否定するのは、心苦しいのですが、「原発を作る・維持する」という仕事と同時に、「原発を壊す・安定化させる」という仕事も今後は必要です。そして(言い方はわるいかもしれませんが)こういう分野は、今後のびる産業であるとも思っています。

毛利某という日本科学未来館という施設の館長を務める元宇宙飛行士が、かつて「原発のゴミは地中深く埋めるから大丈夫」と脳天気にDVDで説明したことがありました。日本の「科学の未来」は、「地中深くに埋めれば大丈夫」という程度のものだったんだなぁ、とそのDVDを視聴しながら思い、縁あってかかわった彼が登場した講演会でその内容のあまりにも軽薄なことにがっかりしたのを覚えています。いえ、これは個人的な感想でして、聴衆の皆さんが感動したという個人的な経験について、そのことを否定するものではありません。「宇宙からみたら地球は一つ。国境線はない。美しい星だ。」というメッセージを送るのは大切ですし、そういう主張もあながち嫌いではありません。ただ、地中深くにゴミを隠すという行為を肯定された上で「地球上には国境線もなく美しい。」と言われても、個人的には悲しいだけなのですが。

そして政府の対応も、福島の補償も打ち切られ放置されたままであったり、様々な問題も「地中に深く埋めれば大丈夫」的な発想と変わらないと思うと、絶望感しかありません。年金のデータ未入力問題も地中深くに埋められてはいませんが、関東の倉庫に放置されたままであったり、非正規労働者問題も女性問題も、何もかも「土に深く埋めれば大丈夫」なんでしょうね。

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川内原発を「骨壺」と当時比喩していた人々について、その意図は今更ながらいろいろ言い当てていたんだな、と思いました。(不遜な発言になりそうなのでその具体的な内容は自重して書きませんが)。現在綺麗にペイントされた川内原子力発電所の映像が、何度もテレビで流れていますが、僕には「綺麗に色塗られた骨壺」にしか見えません。

骨壺の骨を再びとり出して、埋める場所を探すこともできない。そんな施設が再稼働するという日本の風景をタイで見るのは少し複雑な気持ちがします。