バンコクの吹奏楽と日本人社会研究

今回は、これまでの留学や研究訪問と異なり、「趣味も充実させよう」ということで、トロンボーンを担いで来タイした。

今所属しているバンドの実力がどの程度のものなのかは、それは動画のリンク先で確認してもらうしかないのだが、ウマイ・ヘタとは関係なく日本から遠く離れたこの土地にこういった活動をする人々が集まっているということが大切なのだと思う。

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早稲田大学教育学部の田口佑介は、論文「楽器化する演奏者としての自己」において、Christopher Smallを引用し、「音楽を作品ではなく行為としてとらえることによって、聴くことのみに焦点が絞られる ことなく、また、単なる媒介者としてではない演奏者への視点を持ちつつ、音楽について 考察することができるようになる」と吹奏楽の奏者を論ずる。学校吹奏楽・市民吹奏楽に関わってきたものとして、この発言にはとても共感が持てる。吹奏楽の奏者は、「その曲を聴いて味わう」ということよりも「演奏する自分の存在」そのものの方にウェイトがある(もちろん田口もSmallもそして僕も、吹奏楽の音楽そのものの芸術性を否定しているわけではない)。そして「演奏することによって得られる自己の存在認識」が吹奏楽を続ける一つの動機になっていると思う。また市民楽団に入るとわかるが、市民楽団内部でのマウンティングの取り方は、これまたとても面白い。(これは詳細を書くといろいろとアレなので伏せますが)大人になって高価な楽器を購入する(<あ、こりゃわしのことだ)ことで、他者より立場を上に置いたり、または会社組織と同様(または時にそれ以上の)階層社会を作って、運営することで現実の会社と離れた形でマウンティングをとったり。

こういった社会集団の形成の仕方が悪いと言っているのではない。こういった現象は吹奏楽にとどまらず、合唱団やスポーツサークルなどの社会団体にも見られる話であって、目立った話ではない。だが、(タイを含む)諸外国で吹奏楽を行うことができるためには

1 日本滞在時に自前の楽器を持っており
2 楽器を演奏出来る精神的・金銭的余裕があり
3 邦人在タイの方々が特に好んで行うゴルフなどよりも吹奏楽にウェイトを置き(平行して行う事ももちろん可能)
4 50人近くの吹奏楽経験者(初心者も大丈夫なバンドも多い)をそろえるだけの社会的ネットワークの形成(もっとも最近はFacebookなどのSNSが発達していて以前よりも格段に集めやすくなっているだろうが)

といった条件が必要となる。そのため、海外の邦人吹奏楽団は決定的に日本の吹奏楽とは異なる階層によって構成されていると思われる。詳細なデータはこれから集めることになるが、日本の市民バンドよりも収入・学歴などの水準が高いように思われる。何度か参加した飲み会では、馬鹿な話もそれ相応にするが、皆話題が奥深く、知能の高さを感じずにはいられない(筆者をのぞいて)。

社会集団の単なる一組織として、吹奏楽は存在するのか。それとも田口−Smallの図式以外の要素が吹奏楽演奏者のうちに存在するのか。はたまたこういった環境がバンコクだから成り立っているのか。これからじっくりと1年かけてとりくんでみたい。

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リンク先の動画は、28日のイセタンでの演奏の模様。僕はほんとうにちょっとしか映っていません。楽器の偏りの問題やジェンダーバイアスの問題など、これから考えていかなくてならないことは多いです。が、まずはこんな感じでってことで。