復活祭

川崎の荷物をほとんど運び出した。あとは一組の布団が残っているだけで、あと3日ほどこの部屋で生活して、僕自身も移動する。

一度あきらめた研究者を目指すことになったのは偶然だった。

そして、その偶然は意外な形で突然やってくる。
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当初研究者をあきらめようと思ったのは体力的にも心理的にも無理だという二つの理由からだった。

理由の一つは、右手の障害ことだった。
現在博士課程を修了してもすぐにポストを得ることはできないのが普通で、実家が無条件に学費やら生活費を出してくれるような家庭でなければ、たいていのOD(オーバードクター)は、アルバイトや非常勤をして食いつなぐ。博士課程まで公的・私的な資金援助を受けて過ごしてきた僕にはすでに1,000万円を超える借金があり、これから研究職を得るまで数年のバイト生活では生活費に加えて、これらの借金を返済する必要もあった。
そういったこともあり、帰国してすぐのころはアルバイトを最大で6つ掛け持ちしていた。家庭教師、塾講師、予備校講師、某宅配便配送センターでの荷物分配、某ファミレスでの深夜勤務。とはじめの月だけで50万円近い収入があり、すぐに引っ越しに関してできた借金は返済することができた。
つらかったけれど、夢もあったし、お世話になった村での生活を論文にしたいという一念だけで生活を営むことができた。
だが、ファミレスでの深夜勤務の時にハンバーグのプレートが徐々に持てなくなっていることに気づく。僕の右腕はあきらかに悪化していて、タイの医者に言われた「数年で改善されますよ」という言葉がウソだったのだと新たに通い始めた川崎の病院で知る。
時同じくして、板書用のチョークも持てなくなっていることに気づく。チョークでの板書はけっこう握力が必要で、右手ではとても板書はできなくなっていた。
もうバイトで食いつなげるほど体がついていかないことを知った。研究者をめざし、幸運にも3年後、4年後に職が見つかるのだとしても、それまで借金の返済と生活費を捻出するのは難しいという現実に直面した。なにより、現在の研究者ポストの状況は悲惨なもので、優秀な人でも10年たっても就職できない人は多く、その数年の後に職が見つからないという不安から逃げられなかった。(僕自身今回ポストが見つかったのも「偶然」という要素が大きい)。

悔しかった。右手の障害が自分の責任だということも含めて(むしろ自分の責任だったからこそ)、ただただ悔しかった。

こうした状況の中で僕は本当におかしくなってしまったと思う。狂った僕は本気で心配してくれた友人の一人を失った。

そしてそんな絶望の中、助けてくれたのは周囲の友人たちだった。
タイのママも何度も心配して電話をかけてきてくれた。
「耐えられる苦難しか神様は与えないのだ」と。

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立ち直りに時間がかかったけれど、研究をやめ、サラリーマンになろうと決めてからは早かった。右手の不具合が残るにしても、文字をきれいに書けるようになろうと漢字検定のドリルブックの書きとりを日課に加え、TOEICやMCPの勉強もはじめた。サラリーマンになるなら、その世界で一番になってやろうと思っていた。数検、フランス語検定なんてものも手につけ始めた。

その矢先に常勤の話がきた。しかも法律学のポストで。

今回法律には二度助けられた。また家族のことも重なり、結果的には最上の選択肢を僕は選ぶことになった。
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昨晩、友人夫妻とその友人とと食事をした。このつらい期間の中でもっともお世話になった友人の一人だ。今までのことに感謝し、奥さんの目前であれだけ強く抱き合って別れを惜しんだ。本当にありがとう。そしてその彼の目から見て、僕は「もとの姿にもどりつつある」そうで、それがうれしかった。

今日は復活祭。キリストが復活したという現象は肉体的な復活だけでなく、精神の復活を祝う日。僕もまた今日を境に復活することができた自分と向かいあえたらと思う。