この数ヶ月のこと

現在川崎市で生活を送っている。人生は本当にいろいろあるもので、事情を知る友人から「それにしても吉井さんって、私が知ってる日本人のなかで一番ついてませんねえ。すごいなあ。」というメールをもらった。・・・うん確かにそうかもしれない。もちろんネタなんだが、こういった風に相対的に笑い飛ばしてくれる人がいるのは本当に助かる。

「いやぁそれほどでも・・・」と、クレヨンしんちゃん風にすかさずボケかえしたけど。

それなりに「こんなにつらいことはない」というような経験を重ねてきても、「それを超える」哀しみはいつもやってくるものだなぁと思う。歳を重ねることに、悲しむ事柄もその哀しみの大きさもどんどん増えていく。もちろん、「哀しみ」は主観的なことなんで、今回の件も客観的にみれば「よくある話」だということにはかわりない。それを受け入れる自分の方が年相応に成長していないから、大きくなった哀しみを受け止められずにこうやってすぐに参ってしまう。本当に困ったものだ。

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この数年夏の間通っていた場所があった。畑を切り開いた一角にアパートが立ち並ぶ、関東の郊外によくある新興住宅地だ。

そのアパートの周辺は夏の間はトウモロコシ畑になっていて、駅からたいへん遠かった。そのアパートに向かう前には途中のコンビニでビールを一本買い、夜中の道をとぼとぼと歩いた。あれは本当に美しい風景で、おまけに下弦の月がそのアパートの上にぽっかりと浮かんでいて、にっこりと夜空が笑っているようだった。

思わず立ちすくんで、トウモロコシ畑のわきに座り込んでビールを喉に流し込んだ。こういう何気ない風景を見ながら、「生きていけるな」とそのとき思った。

きっとこの近くにもこういう風景はあるだろう。きっとこれから先もこういう風景に出会えるだろう。