あけましておめでとうございます

タイの知り合いから年賀状が届く。正確には年末のグリーティングカードだったのだが、鹿児島から転送されて届いたのが元旦の今日。新居の川崎の住所は親しい方々にしかお教えしていなかったのと、二年連続で家族に不幸が続いたため今年ほとんど年賀はなかったのだった(あ、でも「姐」さん、Mさん年賀状ありがとうございます!喪中を伝えずにごめんなさい。)

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タイからの便りは、モンの村の方々からの連名だった。日本で夏以降入退院を繰り返したこともあり、村長さんとその家族、そして郡長さんが手紙を送ってくれたのだった。

今年のモンの祭りのこと、いつも一緒にご飯を食べていたおばあさんが亡くなったこと、村に僕が置いていったギターが学校の先生に弾いてもらえるようになって、子供達が歌を歌うようになったことを聞く。「センシューハウス」とつけられた家のことも聞く。

「みんながいた」村のことを思い出す。村の生活は結構つらくて、腕を駄目にしたことも、チェンマイの病院に何度も入院したことも、村に入ったころは村人ともなじめずずっとカップラーメンをすすっていたことも当時はつらかった。

でも、 村が好きだった。バナナの木に囲まれた村が好きだった。木々のざわめきの中で暮らす生活が、朝スピーカーから流れるモン族の音楽で目覚める朝が大好きだった。モンの新年は、毎日毎日こゆい豚のスープが続いて飽きたこともあったけれど、村の食事は楽しかった。

日本に帰ってきてからの生活はもっと厳しく、つらいことがまっていた。そうしてモンの村での生活が幸せだったことに気づく。
新年なのに、堰を切ったように思い出が涙と一緒にこぼれてくる。
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早朝からこんなふうに新年を迎える。今年のお年玉は少々涙腺を刺激しすぎたようで、ひとしきり泣いた後、重大な事に気づく。・・・正月のミサに行ってないやん・・・。あ、あかん。

もう「間に合わない」ことを悟り、焼き海老でだしをとったお雑煮を作る。しっかりと焼き海老でだしをとったお雑煮は北薩の伝統的なスタイル。家庭教師先で頂いた丹波黒豆と一緒に朝からビールの封を切る。

少しだけ正月気分で、ビールがこんなに旨いと感じられるほど、こんなに僕は元気です。
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あけましておめでとうございます
今年が恵み多い一年になりますように