『とび徳』

複数の仕事を同時並行的にこなしながら、やっとのことで文芸誌の原稿をあげる。ああ、もう論文の世界に戻りたくない(笑)でも原稿用紙はしばらく見たくない、という極めてネガティブな意識を引きずりながら、当面の糊口をしのぐ術、家庭教師へと向かう。

入試まであと9日までとせまった生徒さんの最後の追い込みにつきあって指導をしながら「あとどうがんばっても9日。どんなに苦しくてもあと9日。」とご両親が励ますのを耳にする。そういえば、僕自身、10年以上家庭教師や予備校講師を重ねてきたけれども、それもこれで最後となる。彼は最後の家庭教師の生徒さんだ。生徒さんが黙々と鉛筆を走らせるその隣の窓からは、柚子の実が風に揺れている。曇天の空の下、薄明るい天気の中で柚子の黄色がほんのりとあたりを明るい色調へと変える。「これで最後」と思うと、何もかもが感慨深い。4月からもう先生と呼ばれることはない。

家庭教師先のお宅のご好意で、戸塚にある『とび徳』というステーキ屋さんに連れて行って頂く。生徒さんの栄養補給(?)とご家庭に明るいニュースが続いたことに加え4月からの就職も祝って頂くことに。
連れて頂いたお店は、稲荷を門前に構えたどうどうした作りで、思わずため息が出てしまう。「粋」が至る所にこぼれていて、通された部屋のセンスの良さ、食事のおいしさにただただ絶句する。湘南台に長い間すんでいてこの店のことをしらなかったなんて、いったい何年無駄な時間を湘南台で過ごしてきたのだろう。(帰宅後、あまりにも感動したのでインターネットで検索をかけてみたところ、実はこのお店2003年の段階で出没!アド街ック天国で紹介されていた。この番組で戸塚が紹介されていたことにまず驚くし、有名な店だったのだ。)
加えて食事がおいしかったのはもちろん、「一人ではない」食事はなんと落ち着くのだろうと思った。

それもまた愉しい。家庭教師先で食べる以外でほとんど会席することはないし。そのことにも感謝だし、これから引っ越しをするとますます一人で食べることが多くなるのだし。なれなくちゃいけないんだが、なかなか難しい。
やっぱり・・・猫でも飼おうかな。