「へこむ」

学校の文化祭も無事に終了。唯一の心残りは吹奏楽部で吹けなかったことだけれど、とにかく終了は終了。

よけいな仕事が多すぎて、まったく動けない状況も少しは改善される・・・かな。

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さて、この文化祭の一日を実は先日の科研費の「ポカ」を埋めるために時間を費やして過ごす・・・はずだった。

・・・が、とある学生が研究室にやってきて、ぽつりぽつりと話をする。それに応える形で次のような話をする。

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ラグビー部などでよく使うアルマイト製の黄金色したヤカンは、知る人はよくわかると思うのだが、 簡単なことではへこみにくい軽くて丈夫な素材でできている。

それでもあのヤカンってテーブルの角にぶつけると簡単にへこむん。大きなヤカンであれば、 小さなへこみであっても素人でも簡単に直せるのだが、なんどもなんどもぶつけ、 へこみを修理している間にその何度も修繕した箇所が金属疲労によって脆くなってしまい穴があいてしまう。また、 ヤカンに大きな衝撃を与えてぺちゃんこになってしまうともはや素人では修理不可能である。ヤカンをもとにもどそうと思ったら、 しかるべき鍛冶屋に頼んで修理をしてもらうしかない。

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さて、もちろんこの比喩は人間が持つ「こころ」という名のヤカンの話。

人間の「こころ」が実物のヤカンと異なるのは、「壊れたから新品と取り替えることができない」ことだ。

「今までのことをすべて忘れて再スタートを切る」と、あたかも実物のヤカンと同様に「こころ」 も新品と取り替えることができるようなことを述べる人もいるが、それは人間に関しては無理な話だ。一度ぶつけた「ヤカンのヘコミ」 はヘコミの周辺が金属疲労をおこしていて、へこみやすく穴が空きやすいという事実は変わらない。

「へこみ」を見せられても、それを修繕することはできない。君の周囲の人が「愛」とやらで修理してくれるといってもそんなもん「幻想」 にすぎない。同じようなヘコミがある人間同士が集まって、ヤカンを見せ合ってもなんともならないし(これを「露悪趣味」というんだよ)、 ましてや「私こんなにヘコミがあるの」とその大きなヘコミを見せられても、見せられた方はなんともしようがない。請われた方は「そのヘコミ治したる」と気負ってしまったりもしまするけれど、素人が簡単に修理できるものではない。

じゃぁプロ(医者)に頼めばなんとかなるかというと、結局は自分自身が「治そう」という意識を持てないと、何もかわらない。 病院というのは「治してくれる」場所ではなく、人間自身が持つ治癒能力を高め補助してくれる場所でしかない。でも、それでも「治そう」 というモチベーションを高めてくれる場所なので、ぜひ行ってほしいとは思うけれど。

ただ、とにかく自分のこころが「へこんだヤカンだ」ということを自覚することから、 今の自分を受け入れることからしかすべてはスタートしないんですよ。

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と、こんなことを話しました。

最近、自分の周囲には「へこんでいる」人が多いので、ブログにも私見を書いてみました。ええ、もちろん、 この台詞はすべて自分にも向けられています。