第二次世界大戦と山地民

ふとしたことで思い出し、10年前の文章をサルベージ。そういえば10年前の戦後60年の時も僕はタイで迎えました。

当時は山地民の村で生活をしており、今は廃刊となってしまった現地コミュニティペーパーに月1で寄稿していました。

先の戦後60年と異なり、今年の戦後70年は、憲法改正の話題や安保法制の話で持ちきりです。

僕が現政権に感じる大きな違和感は、合憲・違憲の話をめぐる憲法学者への非常に軽はずみな批判だけでなく、こういった戦争をめぐるもっとドロドロした部分(必ず出るであろう戦死者のことや、駐屯地、通過地域で生じるであろう戦闘など)に言及していない点です。後方支援でも攻撃はされるし、戦死者はでます。かつて「日本が駐屯していた」という理由でチェンマイが空襲に遭いました。先日の元自衛隊幕僚の発言のように生じるであろう戦死者をどう扱うのか、という提言は実にもっともな指摘だと思いました。

くり返しますが、10年前の文章です。でも当時と比して事態は変わっていません。先に書いた媒体の関係で、個人の歴史認識については言及していません。ですが僕の感想はこうでした。

過度に「自虐の日本史」である必要はないと思いますが、同時に「栄光だけで彩られた日本史」であることにも僕は違和感を持ちます。

こういったことを書くのは個人的にはとても勇気が必要なのですが、少なくともタイの山の中で生活していた僕が、その地域で知ったことを書くことは、せめてもの研究者としての誠実な対応だと思っています。

・第二次世界大戦と山地民

八月のこの時期になると、日本ではヒロシマ、ナガサキの原爆犠牲者追悼式典、八月一五日の終戦記念日といった数々の行事がしめやかに開催される。またこの時期、首相の靖国神社への参拝問題、従軍慰安婦の補償問題、アジア各国で日本軍が発行した軍票の処理問題など、マスコミがこぞって第二次世界大戦において日本軍が行った未解決の問題を取りあげるのも、この時期ならではの特徴といえよう。

六〇年近くも過去のことになってしまったとはいえ、第二次世界大戦については現在でも日本人の間でさえ歴史認識について多くの食い違いが残っている。「日本はアジアを「侵略」したのか、そして日本の侵攻はアジアの人々にとって悪いことばかりであったのか」という問いが頻繁に出されるのもこのころで、特に「新しい歴史教科書を作る会」らによる扶桑社版歴史教科書の発行などを頂点としてこのような発言が近年は多く聞かれるようになった。まぁ、これらの文言についてはいろいろ言いたいこともあるが、趣旨からはずれるのでやめておこう。

さて、筆者が日本に滞在している折、これらの「風物詩」はそれとなく横目で見るだけの「遠い存在」であったのだが、タイで生活を送るようになると、実際にここが戦闘地域であったのだと実感することも多い。それは、カンチャナブリーの「戦場に架かる橋」のような有名な遺物だけではなく、そのような歴史があったことなどみじんも感じられなくなった現代のタイのあちらこちらに散見できる。

チェンマイとてその例外ではなかった。現在チェンマイとバンコクをつなぐ鉄道もビルマに駐留していた英国軍に何度となく破壊され、現在のチェンマイ駅周辺も空襲の被害にあった。タイには第二次世界大戦当時タイ駐屯軍が駐留していたため、物資の輸送手段としての鉄道が攻撃のターゲットになったのだ。戦前の日本の行動が侵略であったのか、アジアの解放をめざすものであったのか、その判断は読者諸氏にまかせることにしたいが、ただ、タイに限っていうならば、「日本軍が駐屯していた」という理由で攻撃された国であったという事実は知っておいていいかと思う。

山地民の村の中で生活するようになった筆者は、タイにきてからの数年、上述したような太平洋戦争に関わる日本の行動について考える機会をもっていなかった。日本のメディアから遠く離れたタイの山岳地域でのんびりと過ごす中でどこか人ごとのように受け止めていた。

ところが、たまたま知り合いになったモン族の友人のおじいさんが、「ドイ・インタノン(チェンマイ県にあるタイ最高峰の山)周辺に住んでいたときに、アメリカ軍のビラが空から降ってきた」という情報を聞いて大変驚いた。そのときの話では、日本に原爆が落ちたということ、日本の敗戦が濃厚だということ、ひいてはタイの国民は日本軍に荷担しないようにという忠告もあったとのことだ。その他にも、敗走した日本兵がビルマから山地民の村を通過してとっていった話、ランパーン県の飛行場の建設のために雇われた話、そして「ここで昔戦闘があってねぇ」という話さえ聞くことさえある。

日本軍が彼らにとってどういう対応をとったのか、それは今となってはもはや「藪の中」なのかもしれない。それでも、山地民と日本軍の間になにがしかのコンタクトがあったことは紛れもない事実で、小さな村の老人たちはしっかりと日本人のことを記憶している。現在山地民の村へと続く道は、NGOをはじめとして、山地民の生活改善に貢献したいと多くの日本人が山に向かう道となっている。

日本が送った戦後の六〇年、そして、同じように山地民がすごした六〇年、そんなことに思いを馳せながら今年はこの季節を過ごしてみよう。

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