教員であろうとすることはなんと難しいことか

年齢を重ねて、それまで経験しなかったいろんな「楽しい」「嬉しい」といった初めての経験をするようになりました。「年の功」ってやつでしょうが、当然長生きをすると「哀しい」経験にも出会うようになります。すでに僕の人生でもなんどか出会ったのですが、自分より年齢の低い友人や学生の死と向かい合わなければならないことは、そんな年齢を重ねる中で初めて体験することになる「哀しい」出来事の一つです。
先日書いたとおり、都城高専に通う留学生が亡くなりました。彼の死に向かい合う中で、これまでも何度かあったのですが、年下の友人が亡くなることの重さをひしひしと感じています。現在の自分の年齢より若く亡くなる、ということは不慮の死であることが多く、その理不尽さにこの2週間ほど、研究室の中にいるとつい、めそめそと泣いてしまっています。今週から始まった授業も本調子でなく、学生諸君には迷惑をかけてしまったなぁと 反省することばかりです。

「死」というのはだれの死でも、いつも理不尽なものなのに。

今回は特別、仲が良かった学生ということもあり、また僕としか話さなかったであろうこともたくさんあり、それを他の学生にどう話すべきなのか、または話さないべきなのか、言えずに困っています。研究者仲間にしかわからない話で恐縮ですが、ラオス騒乱の後タイのBan Vinaiキャンプを経て、ラオスに戻り、セミナーキャンプでの生活を経て、ラオス大を経由して日本の高専に留学したモン族の学生でした(ラオスの研究者やモン族の研究者だったら、これで彼が経験した苦労が分かってもらえると思います)。いえ、もちろんプライベートな話はふれずに、「ラオスで革命時に政府側(CIA側)についたモン族の運命」を一般的な話をしたのみなのですが。そしてそれでもそういう貴重な経験をしたモン族であっても、一人一人の人生は別個に存在するわけで、これから高専で過ごす3年間で、故人が周囲の学生にいろんなことを話してもらえたはずなのに、と思うとそれも哀しくてしょうがありません。

そして僕はつくづく教員に向いていないなぁ、と思うのはこんな時です。プロの教員であれば、こういった個人的な感想は抜きにして、研究者として、一教育人として、授業は授業できっちりと行わなければならないのに、今週は感情的なモノローグ(独白)から始まる授業を学生に提供してしまいました。それは教員としての「人間らしさの証明」として美化される話なのではなく、日本まではるばる「学び」にやってきた故人の思いに答えるならば、こういうときでもはるばるラオスからやってきた彼の期待に応えるような、知的好奇心のあふれる授業をするべきでした。彼以外にもいろんな思いを抱えながら授業に出席している日本人の学生に対して、通常通りの授業を展開するべきで「やってはいけない」ことでした。高専のシステムの問題は抜きにして、プロフェッショナルに徹せずにいる、自分の弱さを感じずにはいられません。

自分が教員として、今後生きていく上で課題にしなくてはならないことを忘れないようにするために、今日感考えたことは、残しておこうと思います。

明日ぐらいには、またのんびと下世話なネタでも書こうと思います。酒でも飲んで寝ます。

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