失踪という手段

吾妻ひでお(2005)『失踪日記』イースト・プレス

失踪日記の存在は以前誰かがレビューしていて、「これ読まなきゃ」と思っていたものの、 現在居住している地方都市では現物を手にとって入手不可能であったため、なかなか読む機会がなかった。

吾妻ひでおは、知る人ぞ知るロリコンマンガの先駆者であり、巨匠で、 今から10ウン年前にはこの人が書くマンガすべてがバカ売れだった時代があった。・・・と、ここで断っておかないといかんのだが、 当時のロリコンマンガというのは、エロのないSFチックな雰囲気を持ったグループ(あさりよしとお『カールビンソン』とか) と完璧にエロに走っていたグループと別れていたのだ。

劇画でSFを描くというのは例えば諸星大二郎なんかがすでにやっていたのだけれど、あえてロリコンの画風(もっとひらたく言うと、 線の太さが同じでかつ登場人物が2頭身の世界で、過度にデフォルメがされた世界)で、SFを描くのは「ありえない」 世界を共通して認識した80年代以降の新しいSFの一形態だったのだと思う。

火星に宇宙人が居ないことも、どうやらUFOとかMJ12とかがうそっぱちだってことも、 ノストラダムスの大予言とかわらっちゃうしかしょうがない、ということが分かってきた状況の中で、あえて劇画タッチで 「ありそうな世界として」宇宙人侵略など描いても、かえってそらぞらしいだけなので(<このとき「そらぞらしさを感じなかった」 集団がその後のオウムに流れたのではと思っています)、あえてデフォルメのタッチでSFを描き、「宇宙人? そんなもんあるわけないじゃん」という「お約束」の下で描くSFが生まれたということだと思う。そして、そうした「お約束」 を無意識に共通のものとするためにデフォルメタッチのロリコン絵は現実感を与えないという点で、効果的に機能したのではないだろうか。 もちろん、虎ビキニを着た宇宙人が地球を侵略する高橋留美子の『うる星やつら』もこの延長にあるだろう。

でもって、吾妻はこうした「お約束の世界」でSF系ロリコン漫画家として(あ、エッチなのも書いているんですが、 それは本筋ではないので省きます)、例えば新井素子さんなんかと共著を出しているぐらいメジャーだったのですが、 突如失踪してしまいルンペン生活を始め、自宅に戻ってからもアルコール依存症になっていきます。こうした体験はとてもとても重く、 書く方も読む方もなかなかつらいものなのですが(中島らも『今夜、すべてのバーで』集英社文庫、などをよむとよくわかります)、 吾妻自身が冒頭に書いているように、あえてデフォルメ化して描くことで物語が成立<作者自身がペンを持ち続け、 読者が食傷してしまい投げ出すことがない>しているというすごい作品に仕上がっている。

ゴミ袋のアサリ方、瓶にたまった酒の集め方、アル中病棟での過ごし方、腐った毛布で寝た夜のこと・・・

これ、もし例えば花輪和一『刑務所の中』のようなタッチだったら、こうは軽く読めないと思う。でも、これを読んで 「なんだルンペンってわりと楽なんだなぁ」と思う輩がいたら嫌だなぁと思ったり。

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